「サハリンの鉄道」の版間の差分

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運輸通信人民委員会および運輸通信省は終戦当時から、サハリン北部の[[ネヴェリスコイ海峡]]に海底トンネルを建設して南サハリン鉄道局管内の鉄道路線を大陸側と直結し、軌間を日本時代の狭軌(3フィート6インチ、1067mm)からシベリア鉄道と同等の広軌(5フィート、1524mm)に改軌する計画を立てていた。計画は後に1520mm改軌に改められたが着工されることはなく、[[1953年]]に海底トンネル計画の中止が決定されると、改軌計画も消滅した。
 
南サハリン鉄道局では一部にソ連製の機関車および貨車の投入例があったものの、戦後も約20年間にわたって戦前の日本時代の車両や設備が引き続き使用された。また1948年に新製輸出された日本製の[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形蒸気機関車]]が主力機関車として投入されたほか、1961年には日本製の{{lang|ru|A1}}形ディーゼル動車8両(全車[[東急車輛製造]]製)が投入された<ref>「賠償物資として輸出」との誤解した記述がみられるが、正規の条約である[[日ソ共同宣言]]の締結は昭和31年であり条約締結以前に賠償物資の請求は原則的にありえない。そして日ソ共同宣言時には条約第6項においてソビエトは日本に対し[[賠償請求権]]を放棄している。また当時の複数の文献「機関車」第3号(1949年11月発行)や「交通技術」51号(1950年10月号)にも正規の輸出との記述が存在する。一方「賠償輸出」という供述が見られ始めたのは当時の記録があいまいになりだし孫引きが増加した1970年代以降のことである。 </ref>。
 
===極東鉄道局南サハリン支局・サハリン支局===