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'''洪湖市'''(こうこ-し)は[[中華人民共和国]][[湖北省]][[荊州市]]に位置する[[県級市]]。
 
== 地理 ==
洪湖市は湖北省南部、[[長江]]と[[東荊河]]の中間に位置する。東南北の三面が河川に綿糸、西南は[[長江]]を隔てて[[湖南省]][[臨湘市]]と接する。地勢は平坦であり北西から南東にかけてゆるやかな傾斜を形成している。
 
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洪湖市は[[夏 (王朝)|夏]][[殷|殷代]]は古雲夢の地とされ、[[周|周代]]には[[州 (春秋)|州]]が置かれ現在の黄蓬山に都城が置かれた。[[紀元前710年|前710年]]([[武王 (楚)|武王]]40年)、州は周辺の小国と共に[[楚 (春秋)|楚]]に併呑され、[[紀元前278年|前278年]]([[昭襄王]]29年)に[[秦]]が楚を滅亡させると南郡の管轄とされた。
 
[[紀元前206年|前206年]]、[[前漢|漢初]]に[[南郡 (中国)|南郡]]は臨国とされたが、[[紀元前202年|前202年]]に再び南郡が設置され、洪湖地区には[[州陵県]]が設置された。[[新|新朝]]が成立すると[[9年]]([[始建国]]2年)に南郡が南順郡、州陵県は[[州陵県|江夏県]]と一時改称されたが、[[後漢]]が成立すると[[25年]]([[建武 (漢)|建武]]元年)に再び州陵県に名称が戻されている。[[551年]]([[大統]]17年)、[[西魏]]は州陵県と[[恵懐県]]を統合し[[建興県]]を設置した。
 
[[隋|隋代]]から[[清|清代]]にかけては行政区画の変更が頻繁に実施され、県名も[[玉沙県]]、[[附廓県]]、[[文泉県]]などの名称が使用された。清末の[[1857年]]([[咸豊]]7年)、新堤(洪湖市区)に税関が設立され、[[1912年]]の州制廃止に伴い[[江漢道]]下に[[沔陽県]]が成立した。[[1926年]]、道制廃止に伴い[[新堤市]]が成立したが、間もなく市制が廃止され沔陽県に編入された。
 
[[1951年]]5月、沔陽県の東荊河以南及び[[監利県]]東部、[[嘉魚県]]北部、[[漢陽県]]南西部に新たに[[洪湖県]]が設置され、更に[[1987年]]7月31日に県級市の洪湖市に改編され現在に至る。
 
== 行政区画 ==