「長友貞藏」の版間の差分

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[[宮崎県]][[宮崎郡]][[住吉地域自治区|住吉村]](現・宮崎市)出身。
[[宮崎県立宮崎大宮高等学校|宮崎県立宮崎中学校]]、[[宮崎大学]][[農学部]]農学科卒業。[[1953年]][[農林省 (日本)|農林省]]に[[キャリア (国家公務員)|キャリア]][[技官]]として入省。農林経済局金融課課長補佐から[[1971年]]宮崎市に出向。経済部長、総務部長を経て、[[1976年]]から[[1978年]]まで[[助役]]を務めた。
 
[[1979年]]から[[宮崎県議会]]議員([[自由民主党 (日本)|自由民主党]])を務めるも任期途中で辞職し、[[1982年]]宮崎市長選挙に出馬し当選。[[1994年]]3期目の途中で健康上の理由で引退し、長友の任期中一貫して助役であった坂本昭三が実質的な後継者として市長選に臨んだが、[[津村重光]]に敗れた。
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== エピソード ==
* 主な実績として[[宮崎公立大学]]の創設があるが、[[1993年]]から2年間、[[昆虫]]学者である[[宮崎公立大学]]長(当時)の平嶋義宏、[[野村周平]]らが[[東諸県郡]]で実施した実地調査において、アリヅカムシの新種が発見された。そのうちの一つであるヒュウガモリアリヅカムシの[[学名]]が、長友の実績を称え「Hyugatychus teizonagatomoi Nomura」と名付けられた。
* 宮崎市道大島通線は、沿線に長友の自宅があり、市長の任期中に計画・整備されたことから、市民からは「(長友)貞蔵道路」と呼ばれる。現在では多数の[[ロードサイドショップ]]が立地し、渋滞も多く発生することから、各種[[メディア]]において店舗のアクセスや[[交通情報]]などで正式名称の「大島通線」を認知する機会が増え、現在では正式名称も広く知られるようになった。
 
{{宮崎市長}}