「ロベール豪胆公」の版間の差分

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| 各国語表記 = Robert le Fort
| 家名・爵位 = ネウストリア辺境侯<br>ヴォルムスガウ伯<br>[[アンジュー伯]]<br>オルレアン伯<br>トゥール伯
| 画像 = Arbor genealogiae regum Francorum - Besançon ms854 f8 Robert le Fort.jpg
| 画像サイズ = 240px
| 画像説明 =
| 画像説明 = ブリサルトのノートルダム教会にあるロベール豪胆公像
| 在位 = [[861年]] - [[866年]]
| 続柄 =
| 称号 =
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| サイン =
}}
|[[File:Robert 画像説明 =le Fort.jpg|thumb|ブリサルトのノートルダム教会にあるロベール豪胆公像]]
'''ロベール豪胆公'''(フランス語:Robert le Fort、[[830年]]頃 - [[866年]][[7月2日]])は、ネウストリア辺境侯。'''ヴォルムスガウ伯ロベール4世'''ともいわれる。ロベールの一族はその名を取って[[ロベール家]]と呼ばれている。[[853年]]、ロベールは西フランク王[[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世]]により「''[[:en:Missus dominicus|Missus dominicus]]''([[国王巡察使]])」に任ぜられた。また、ロベールは後に西フランク王となる[[ウード (西フランク王)|ウード]]および[[ロベール1世 (西フランク王)|ロベール1世]]の父、フランス王[[ユーグ・カペー]]の曽祖父にあたり、[[カペー朝]]の祖にあたる。