「ゲシュタポ」の版間の差分

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なお1933年9月末にはルドルフ・ディールスが一時ゲシュタポ局長を外され、ベルリン警察副長官に左遷されている<ref name="ドラリュ(2000)79">[[#ドラリュ(2000)|ドラリュ(2000)、p.79]]</ref>。これはヒンデンブルク大統領の要請によるものであった。大統領の下には各方面からゲシュタポの無法やディールスの不正行為についての直訴が届いていた。これらの直訴にはドイツ国内相[[ヴィルヘルム・フリック]]と[[親衛隊全国指導者]][[ハインリヒ・ヒムラー]]が関与していた。フリックはゲーリングがゲシュタポの指揮権を自分から独立した物にしようとしていることに腹を立てていた。一方ヒムラーはゲシュタポの指揮権をゲーリングから奪い取ることを狙っていた{{#tag:ref|内相ヴィルヘルム・フリックがディールス解任に関与していることの情報源は、ジャック・ドラリュ著『ゲシュタポ・狂気の歴史』(講談社学術文庫)79ページ。ディールス解任にヒムラーが関与していたことの情報源は、ルパート・バトラー著『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』(原書房)45ページから47ページ。|group=#}}。
 
ヒムラーの命を受けた{{仮リンク|ヘルベルト・パッケブッシュ|de|Herbert Packebusch}}親衛隊大尉が親衛隊部隊を率いてディールスの自宅を強襲し、彼の共産党との関係や不正の証拠を手に入れようとした<ref name="クランク(1973)58">[[#クランク(1973)|クランクショウ(1973)、p.58]]</ref><ref name="ヘーネ(1981)96">[[#ヘーネ(1981)|ヘーネ(1981)、p.96]]</ref>。ディールスは警察を引き連れて急行し、パッケブッシュを逮捕したが、ゲーリングは彼を釈放させ、さらにディールスの自宅にゲーリングの警察が捜査を行い、身に危険を感じたディールスは[[チェコスロヴァキア]]の[[カールスバート]]に身を隠した<ref name="ヘーネ(1981)96" />。ゲーリングが後任としてゲシュタポ局長および統監に据えたのは[[アルトナ]]警察署長[[パウル・ヒンクラー]]であった<ref name="ドラリュ(2000)80">[[#ドラリュ(2000)|ドラリュ(2000)、p.80]]</ref>。しかしヒンクラーは、[[アルコール依存症|アルコール中毒者]]で奇行が多く、ゲーリングも10月末には解任せざるを得なくなった。この後、ディールスが呼び戻されて再度ゲシュタポ局長に任命された<ref name="ドラリュ(2000)81">[[#ドラリュ(2000)|ドラリュ(2000)、p.81]]</ref>。
 
ただしディールスは、1933年6月22日には州警察局長クルト・ダリューゲに対し「原則的に将来秘密国家警察局の執行吏はSS(親衛隊)から採用されるべきでしょう」という進言を行っており、親衛隊に迎合する動きも見せていた{{sfn|芝健介|1989|pp=68}}。
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[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-R96954, Berlin, Hermann Göring ernennt Himmler zum Leiter der Gestapo.jpg|thumb|right|200px|1934年4月20日、[[ベルリン]]。[[ヘルマン・ゲーリング]](右)から「ゲシュタポ長官代理兼ゲシュタポ統監」に任じられる[[ハインリヒ・ヒムラー]](左)。]]
フリックと親衛隊からの圧力が強まる中の1934年4月20日、ゲーリングは、ゲシュタポ長官代理とゲシュタポ統監に[[ハインリヒ・ヒムラー]]を任じた{{sfn|芝健介|1989|pp=69}}。これをもって実質的なゲシュタポの指揮権をヒムラーに引き渡すこととなった。ゲーリングは1935年11月20日までゲシュタポ長官の座にとどまったが、形式的な存在であった<ref name="大野(2001)90">[[#大野(2001)|大野(2001)、p.90]]</ref> さらにディールスはライン県知事に転出となり、4月22日、[[ラインハルト・ハイドリヒ]]がゲシュタポ局長となった{{sfn|芝健介|1989|pp=69}}。
 
ゲーリングがゲシュタポ指揮権をヒムラーに譲った理由は諸説あり定かではない。緻密さが要求される警察業務に飽きてしまったとも、自らの名声を秘密警察業務で汚したくなかったともいわれる。ゲーリングのライバルである[[エルンスト・レーム]]以下[[突撃隊]]の隊員たちが「第二革命」を唱えて暴走し始めていたので彼らとの対決のために親衛隊と手打ちする必要があったのではないかともいわれる<ref name="学研114" /><ref>[[#ヘーネ(1981)|ヘーネ(1981)、p.98-99]]</ref>。
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=== 保安警察・国家保安本部 ===
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-R98683, Reinhard Heydrich.jpg|thumb|right|150px|[[ラインハルト・ハイドリヒ]]]]
[[1936年]]6月17日、ヒムラーは内相フリックに下属する全ドイツ警察長官 (Chef der Deutschen Polizei) に任じられた{{sfn|芝健介|1989|pp=73}}。この地位はすべての警察所管事項を管掌するものであったが、内相の指揮下にあるとは明言されていないものであった{{sfn|芝健介|1989|pp=73}}。6月26日、ヒムラーは州政府の警察権を中央政府に移管させ、政治警察であるゲシュタポと刑事警察(殺人・強盗など凶悪犯罪の捜査にあたる警察機関)の[[刑事警察_ (ドイツ)|クリポ]] (KriPo) を'''[[保安警察]]'''(Amt Sicherheitspolizei, 略号: '''Sipo''')として束ね、改めて[[ラインハルト・ハイドリヒ]]に委ねた(なお[[秩序警察]](オルポ(Orpo)、政治警察でない通常警察)はクルト・ダリューゲに委ねられた)<ref name="クランク(1973)86">[[#クランク(1973)|クランクショウ(1973)、p.86]]</ref>{{sfn|芝健介|1989|pp=73}}。
 
ハイドリヒは保安警察を「行政・法制局」、「政治警察局」、「刑事警察局」の3つに分けた。このうち「政治警察局」がゲシュタポであった。「政治警察局」(ゲシュタポ)は、これまで通り1部(行政・司法)、2部(政治警察)、3部(諜報警察)の3つの部から構成された<ref name="大野(2001)93">[[#大野(2001)|大野(2001)、p.93]]</ref>。ハイドリヒは政治警察局の局長に[[ハインリヒ・ミュラー]]を据えた。
[[ファイル:Heinrich_Müller.jpg|thumb|right|150px|[[ハインリヒ・ミュラー]]]]
同じくハイドリヒの指揮下にあったナチ党の諜報組織[[SD (ナチス)|親衛隊諜報部 (SD)]]とゲシュタポは職務区分が明確でなかったため、反目することがあった。1935年の段階でゲシュタポ本局の職員の3割がSD隊員であるなど高率であった、プロイセン州全体のゲシュタポ隊員のうちSDは9%に満たなかった(親衛隊員は全体の20%){{sfn|芝健介|1989|pp=80}}。1937年7月1日にハイドリヒは保安警察及びSD長官(Chef der Sicherheitspolizei und des SD、略称CSSD)命令を出して、両者の職務領域を区分している。SDは党内問題、人種問題、文化問題、教育問題、外国問題、行政問題、[[フリーメソン]]などを専管するとされ、一方ゲシュタポは[[マルクス主義]]、移民、[[国事犯]]を専管とすると定めた。[[教会]]、世界観問題、[[ユダヤ人]]、過激派、[[黒色戦線]]([[ナチス左派]]の[[オットー・シュトラッサー]]の分派組織)、経済問題、報道問題については共同管轄となった。SDを情報分析機関とし、ゲシュタポを執行機関とするのがこの区分命令の狙いであったと指摘されている<ref name="学研115" />。しかしSDの独自行動はやまず、1936年の年末に[[アプヴェーア]]([[ドイツ国防軍]]防諜部)とゲシュタポは権限分画を定めた協定を結んでいたが、SDがゲシュタポや官庁に対する監視活動を続け、アプヴェーアは「(SDが)国防上捨て置けない存在」になっていると訴えるほどであった{{sfn|芝健介|1989|pp=83-84}}。
 
1938年1月には内務省が定めていた「保護拘禁規則」が改定された。これにより保護拘禁の権限はゲシュタポにしかないことが明確に定められた。また保護拘禁の対象は政治的敵対者に限定されず、「その行動が民族や国家に危険を及ぼす者」全てに適用されることとなった。これによりこれまで「予防拘禁 (Sicherungsverwahrung)」{{#tag:ref|「予防拘禁」とは1933年11月以来、ドイツ警察に認められていた「常習的犯罪者」に対する拘束権限である。政治的反対者を対象とする「保護拘禁」とは別物だった。前科2犯以上の「常習的犯罪者」は刑期が終了しても警察の判断で無期限に拘束することができるという制度である<ref name="高橋(2000)40">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.40]]</ref>。|group=#}}によって強制収容所へ入れていた「反社会分子」をゲシュタポが保護拘禁で強制収容所へ送ることができるようになった<ref>[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.42-43]]</ref>。
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1938年1月から2月に保安警察は国防相[[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク]][[元帥 (ドイツ)|元帥]]と陸軍総司令官[[ヴェルナー・フォン・フリッチュ]][[上級大将]]の失脚事件([[ブロンベルク罷免事件]])に関与した<ref>[[#大野(2001)|大野(2001)、p.37-39]]</ref><ref>[[#クランク(1973)|クランクショウ(1973)、p.102-104]]</ref><ref>[[#ドラリュ(2000)|ドラリュ(2000)、p.239-247]]</ref>。
 
[[1938年]][[6月23日]]には保安警察の警察官はすべて親衛隊に入隊せねばならない旨の政令が出され、ゲシュタポと党との一体化が進んだ<ref name="クランク(1973)86">[[#クランク(1973)|クランクショウ(1973)、p.86]]</ref>。11月11日にはSDが保安警察を支持するため国家の命令に従うという内相布告が行われ、SDの再編問題が課題となりつつあった。[[1939年]][[9月27日]]にはヒムラーの布告により国家機関である保安警察とSDがハイドリヒを長官とする[[国家保安本部]](親衛隊の組織)の下に束ねられた<ref name="大野(2001)15">[[#大野(2001)|大野(2001)、p.15]]</ref>。'''SD'''は同本部の第二局 (世界観調査)、第三局(内国情報)、第六局(外国情報)に分割され、'''ゲシュタポ'''は第IV局 (Amt IV)、[[刑事警察_ (ドイツ)|クリポ]]は第V局 (Amt V) に配された{{sfn|芝健介|1989|pp=86-87}}。国家機関と党機関の区別はなくなり、ナチ党が国家機関を飲み込んだ型になった。ハイドリヒは公式には国家保安本部長官ではなく保安警察とSD長官を名乗った{{sfn|芝健介|1989|pp=87}}。これは国家と党の両方からの介入を受けないための措置であった。ここに国家・党を上回り、[[総統]]のみに直属する執行機関が成立した{{sfn|芝健介|1989|pp=87}}。ゲシュタポは国家保安本部の一部局となり、ハインリヒ・ミュラー局長の下に1職員数は約4万5000人に膨張した(1943年の最大規模時)<ref name="テーラー(1993)71">[[#テーラー(1993)|テーラー、ショー(1993)、p.71]]</ref>。このミュラーは「ゲシュタポ・ミュラー」の異名を取るようになった<ref name="長谷川(1996)46">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.46]]</ref>。
 
=== 戦時中 ===
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*{{Cite book|和書|author=[[ジェームス・テーラー]]([[:en:James Taylor|en]])、[[ウォーレン・ショー]]([[:en:Warren Shaw|en]])|translator=[[吉田八岑]]|year=1993
|title=ナチス第三帝国事典|publisher=[[三交社]]|isbn=978-4879191144|ref=テーラー(1993)}}
*{{Cite book|和書|author=[[ジャック・ドラリュ]]([[:fr:Jacques Delarue |fr]])著|translator=[[片岡啓治]]|year=1968|title=ゲシュタポ・狂気の歴史―ナチスにおける人間の研究|publisher=[[サイマル出版会]]|ref=ドラリュ(1968)}}
**{{Cite book|和書|author=ジャック・ドラリュ著|translator=片岡啓治|year=2000|title=ゲシュタポ・狂気の歴史|publisher=[[講談社学術文庫]]|isbn=978-4061594333|ref=ドラリュ(2000)}}
*{{Cite book|和書|author=[[長谷川公昭]]著|year=1996|title=ナチ強制収容所 <small>その誕生から解放まで</small>|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4794207401|ref=長谷川(1996)}}
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{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:けしゆたほ}}
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