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==澶淵の盟==
これに対して宋の朝廷は大いに狼狽し、[[王欽若]]などは金陵([[南京市|南京]])への避難を提案した。これに対して[[寇準]]は強硬に主戦論を主張し、皇帝[[真宗 (宋)|真宗]]に対して[[親征]]を主張し、真宗もこれを受け入れ、[[澶州]](現在の[[河南省]][[濮陽市]])に赴いた。
 
両軍は膠着状態に陥り、和平交渉が持たれた。初め遼側は領土の割譲を求めていたが、宋からすればそれだけは受け入れ難いとして、財貨を送ることでの和平の道を探ることになる。寇準はむしろ遼が領土を割譲し、遼が自らを臣下と呼ぶなどの強硬な姿勢を貫くべきとの意見を出していたが、周りからの讒言もあり妥協した。使者の曹利用が遼へと赴く際に、真宗は「100万両までなら出しても良い」との言葉を与えたが、寇準は曹利用に対して「30万を超えたら、お前を斬る」と脅していた。