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'''劉 因'''(りゅう いん、[[1249年]] - [[1293年]])は、[[中国]]の[[元 (王朝)|元]]代
== 生涯 ==
その人柄は清廉で、貧しい中で子弟を教える生活に甘んじ、[[諸葛亮|諸葛孔明]]の「静以修身」の語を愛し、住居を「静修」と名づけたほどだった。[[フビライ]]の招聘に結局は応ぜず、友人の[[許衡]]が応じたことにも反対した。劉因を訪問した許衡が、自分が元朝に仕えることについて「かくの如くなければ、道行われず」と説いたのに対し、劉因は自分の拒絶の理由を「かくの如くなければ、道尊からず」と答えたという。
== 著書 ==
*『四書精要』30巻
*『丁亥集』5巻の詩集
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== 脚注 ==
<references />
== 参考文献 ==
*『[[元史]]』巻171
*『[[新元史]]』巻170
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