「ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス」の版間の差分

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=== 最期 ===
国内政策では、粗製濫造されていた金貨・銀貨・銅貨の発行体制の再構築に乗り出し、これに絡んで不正を働いて利益を得ていた(とされる)通貨鋳造所職員がストライキを実施するもの、アウレリアヌスはこれを武力でもって鎮圧。一説には反乱に加わった職員や元老院議員ら約7,000名が死亡したとされる。
 
[[275年]]、[[シャープール1世]]が没した直後の[[サーサーン朝]]へ遠征に向かう途中、アウレリアヌスは秘書官の一人(ゾシムスによると'''エロス'''(Eros)なる人物)を叱責した。これに身の危険を感じた秘書官は謀略を仕組み、アウレリアヌスは自軍の将軍([[エドワード・ギボン]]によると'''ムカポル'''(Mucapor)なる人物)に暗殺された(なお、後になって秘書官の謀略が露見し、秘書官は処刑された)。アウレリアヌスの突然の死は帝国に大きな衝撃を与え、[[マルクス・クラウディウス・タキトゥス]]が即位するまで数ヶ月にわたって皇帝不在の時期が生じたとされる。しかし近年の史料分析により、皇帝不在の空白期は長く見積もっても2か月に満たないことがわかっている。