「恵那郡」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
38行目:
*江戸時代になって[[裏木曽]]と呼ばれ良質な木材が採れた恵那郡北部の加子母村、付知村、川上村は[[尾張藩]]領とされた。
*江戸時代初期に[[大川村 (岐阜県)|大川村]]と[[水上村 (岐阜県)|水上村]]は旗本[[小里氏]]の領地であったが後継が無く断絶したため[[幕領]]とされた。
*[[茄子川村]]は旗本[[茄子川馬場氏]]と、尾張藩の家臣[[木曾衆]]の[[山村氏]]、[[千村氏]]、原氏、[[三尾氏]]など8名の入相支配地であった。*Z
*[[姫栗村]]と[[毛呂窪村]]は、元は[[加茂郡]]であったが、[[正保]]年間([[1645年]]~[[1648年]])に恵那郡へ編入された。
 
=== 太閤検地 ===
[[天正]]年間に[[豊臣秀吉]]の命により、全国で[[太閤検地]]が実施された結果は、美濃国は54万石、恵那郡は34,3102斗6升5合であった。[[太閤検正保書上帳]]による恵那郡の78ヶ村の石高については以下の通り。