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[[ファイル:Population of Japan since 1872.svg|thumb|280px|日本の人口の推移 (1872年-2100年)]]
{{seealso|日本の人口統計}}
日本の人口は[[江戸時代]]には2600万人程度だったとされる。これは貧しい農民などが[[子殺し|間引き]](子殺し)を行う風習があていたためである<ref>[https://www.hitachi-zaidan.org/mirai/02/paper/pdf/moriya_treatise.pdf 親子間の葛藤~親殺し・子殺し 守山正]</ref>。[[関東地方]]と[[東北地方]]では[[百姓]]の[[貧困]]が原因で「間引き」が特に盛んに行われ、[[都市]]では[[職人]]や[[商人]]の[[風俗]]退廃による[[姦通|不義密通]]の横行が主な原因で行われた。また[[貧乏|小禄]]の[[武士]]階級でも行われた<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441375/24 国立国会図書館デジタルコレクション『堕胎間引の研究』9頁]~[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441375/47 54頁] (編著者・出版者:[[社会福祉協議会|中央社会事業協会]]社会事業研究所 発行:[[1936年]]([[昭和]]11年)[[10月7日]]) (2018年11月2日閲覧。)</ref>。
 
日本の人口は、[[開国#日本の開国|開国]]後に急増を始める。1872年(明治5年)の段階では3480万人だった日本の人口は1912年(明治45年)に5000万人を突破し、1936年(昭和11年)には6925万人に達していた。これは間引きが罰せられるようになったことで大家族の家庭が多くなったのに加え、明治以降の保健・医療など[[公衆衛生]]水準の向上、農業生産力の増大、[[工業化]]による経済発展に伴う国民の所得水準の向上と生活の安定などの要因により発生した人口爆発だった<ref name="hns">[https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/23.pdf 明治以降の日本の人口の変化]</ref>。
 
しかし短期間また明治以降の居住の自由化より、特に都市人口の増大が急激だった。[[第一次世界大戦]]後の[[不況]]で[[失業者]]数が増加しすぎことで[[昭和]]初期には[[人口過多|人口過剰]]が重大な[[社会問題]]となった。特に都市人口の増大は急激だった。<!--この頃、この人口増加が続いたままでは[[2000年|20世紀末]]に人口は2億5000万になると考えられていたが、政府は多産を奨励し[[産児制限]]運動を弾圧。 要出典-->人口過剰の解決のため政府は日本国外(特に[[ブラジル]])への[[移民]]キャンペーンを行ったが、人口抑制効果は限定的だった<ref>[[帝国主義|対外拡張政策]https://journal.osaka-sandai.ac.jp/pdf/075-093.pdf 戦間期日本における失業問題とアジア労働市場 - 大阪産業大学 加藤道也]を推進した</ref>
 
[[第二次世界大戦]]の社会的経済的混乱を経て、1947年から1949年に第一次[[ベビーブーム]]が発生。また外地からの引き揚げも加わって人口増加率は年率2%を超えた。1948年(昭和23年)に人口8000万人だったのが、1956年(昭和31年)には9000万人、1967年(昭和42年)に1億人を超えた。当時において日本は中国、インド、アメリカ、ソ連、インドネシア、パキスタンに次ぐ第7位の人口を有する国となった。100年の間に総人口が3倍に増えた計算となる。1971年から1974年の間、第一次ベビーブーム世代の結婚・出産に伴う第二次ベビーブームが発生。しかし戦後は[[優生保護法]](現母体保護法)による人工中絶が認められたことなどもあって、出生率は全体的には低下傾向にあり、そのため[[2008年]]の1億2808万人をピークとして人口減少傾向に入り、近年では[[少子高齢化]]が社会問題化している<ref name="hns"/><ref>[https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h24/hakusho/h25/html/n1111000.html 第1節 若者を取り巻く社会経済状況の変化]</ref>。
[[第二次世界大戦]]後も人口の急増は続いたが<!--[[第二次世界大戦]]の敗北で、海外への領土膨張を封じられた[[日本国政府]]は、 一転して人口抑制政策を採り、要出典-->[[優生保護法]]による[[人工妊娠中絶]]の普及もあって出生率は低下傾向となった。大都市の人口増加はこの間も続き、[[東京]]は世界最大の[[都市圏]]になった。主に工業化と海外からの資源移入に依存する形で食糧問題を解決したが、農林業は[[比較優位|比較劣位]]となって縮小。農山村を中心に[[過疎化]]が起こった。
 
1980年代以降は、[[脱工業化社会|脱工業化]]に伴って製造業も海外移転が進み、2008年頃には工業製品が輸入超過となった。これに伴って、日本の製造業も縮小した。
 
== 脚注 ==