「再軍備」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]において再び敗北したドイツは国防軍を解体され、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の四ヶ国に分割占領されたが、大戦終結後にソ連とアメリカの関係は急速に冷却化し、西側三ヶ国占領地域における通貨改革にソ連が反発し1948年には[[ベルリン封鎖]]が行われるなど東西の緊張が高まった([[冷戦|東西冷戦]])。
 
冷戦の始まりと共にドイツは東西に分割され、1949年9月には西側三ヶ国占領地域がドイツ連邦共和国([[西ドイツ]])として、同年10月には[[ソ連占領地域]]が[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)として独立した。当初は東西ドイツ共に国軍は設置されず[[兵営人民警察]]、[[国境警備隊]]や[[沿岸警備隊]]といった[[準軍事組織]]のみが存在していたが、同じように非武装化を目指した日本を間接的に巻き込んだ[[朝鮮戦争]]以降、アメリカとソ連西ドイツの再軍備もまた真剣に検討し始めた。ナチス・ドイツによる侵略の記憶が生々しい欧州諸国、特に[[普仏戦争]]と第一次大戦という近代以降の過去二度にわたって対ドイツ戦の主戦場になったフランスは西ドイツ再軍備に強硬に反対し、西ドイツ軍の指揮権を西ドイツ政府から奪い[[欧州防衛共同体]]に移譲させる構想を提案した。しかしアメリカとイギリスがこの構想に消極的であったことと、ほかならぬフランス自身の国家主権に対する侵害を恐れた[[ド・ゴール主義|ド・ゴール主義者(ゴーリスト)]]による反対のために提案は否決され、フランスは西ドイツ単独の再軍備を容認した。
 
1955年には西ドイツが[[ドイツ連邦軍]](Bundeswehr)を編制するとともに[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟した一方で、東ドイツも同年に[[ワルシャワ条約機構]]に加盟すると共に翌1956年に[[国家人民軍]](Nationale Volksarmee)を編制し、両ドイツ地域において再軍備が行われた。東西ドイツは冷戦の最前線ということもあって、西ドイツには[[アメリカ軍]]([[アメリカ欧州軍]])・[[イギリス軍]]([[イギリス陸軍ライン軍団]]、{{仮リンク|ドイツ駐留イギリス空軍|en|Royal Air Force Germany}})・[[カナダ軍]]({{仮リンク|在欧カナダ軍|en|Canadian Forces Europe}})が、東ドイツには[[ソビエト連邦軍]]([[ドイツ駐留ソ連軍]])が駐屯していたほか、[[ニュークリア・シェアリング]]と称して[[核兵器]]も多数配備されていた。