「高重氏」の版間の差分

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| 時代 = [[鎌倉時代]]
| 生誕 = 不詳
| 死没 = [[弘安]]4年([[1281年]])~[[弘安]]97年([[12861284年]])
| 改名 =
| 別名 =
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| 官位 =
| 幕府 =
| 主君 = [[足利頼氏|頼氏]]、[[足利家時|家時]]
| 氏族 = [[高氏]]
| 父母 = 父:[[高惟重]]
| 兄弟 =
| 妻 =
| 子 = [[高師氏|師氏]]、[[大高重長|重長]]、[[岡松頼基|頼基]]
}}
'''高 重氏'''(こう の しげうじ)は、[[鎌倉時代]]の[[武将]]。[[足利氏]]の家臣。[[高師直]]の曽祖父。
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[[弘安]]4年([[1281年]])11月5日付の重氏の発給文書([[尊経閣文庫]]所蔵『[[武家手鑑]]』所収)が、[[高氏]]の[[足利氏]][[執事]]としての活動を確認できる現存最古の史料であり{{sfn|亀田|2015|loc=師直の先祖たち}}、遅くとも彼の代から足利氏執事を世襲していったのだろうと考えられる{{sfn|亀田|2015|loc=師直の先祖たち}}。
 
[[弘安]]97年([[12861284年]])に子の師氏が執事として活動[[足利家時|家時]]が自害た際の置文を預かっていて、これ以前には亡くなっていたと推測される。
 
[[歌人]]としても有名で、[[宇都宮[[歌壇]](地方歌壇で、[[宇都宮頼綱]]と[[宇都宮朝業|朝業]]の兄弟に始まる)に連なることで知られていた。
 
== 脚注 ==