「新選組始末記」の版間の差分

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[[彰義隊]]隊士で[[箱館戦争]]にも従軍した祖父を持つ子母澤は、[[読売新聞]]記者時代に社会面の続き物の記事で[[近藤勇]]を取り上げることになり、いろいろ調べているうちに、実像の近藤勇に興味を持ち、研究を始めたという。[[1923年]]([[大正]]12年)頃から[[幕末]]史の権威・[[尾佐竹猛]]、[[井野辺茂雄]]、[[藤井甚太郎]]らを訪ねて、[[新選組]]について根掘り葉掘り訊き出すようになり、[[昭和]]に入ってからはしきりに京都通いして取材した。
 
[[1926年]](大正15年)、[[東京日日新聞]](現[[毎日新聞]])社に移り、[[1928年]]([[昭和]]3年)『新選組始末記』を万里閣書房から処女出版した。その後、[[1929年]](昭和4年)に『新選組遺聞』、[[19551931年]](昭和306年)に『新選組物語』をそれぞれ発表、それらを含めて[[1969年]](昭和44年)に[[角川文庫]]から『新選組始末記』が出版された。つまり、角川文庫版『新選組始末記』にはオリジナルの『新選組始末記』の他に『新選組遺聞』『新選組物語』が含まれ、著者自身によって幾分改訂されている。これらは、[[中公文庫]]では「新選組三部作」として3冊別に出版されている。
 
本作は、娯楽的な時代小説というよりも、随筆・記録・史談ともつかないものであり、また子母澤自ら取材して集めた幕末の一級資料と捉えられている。ただし、子母澤が自ら後書きで「生き残りの老人のはなしは、疑わしいものもあったが、私は『歴史』というのではなく現実的な話そのもののおもしろさをなるべく聞きもらすまいと心がけた」と述べているように、学術的な意味での史実とは言い難い。また、[[司馬遼太郎]]は[[1967年]](昭和42年)に最晩年の子母澤と対談し、その対談「幕末よもやま」によれば、司馬は20歳くらいの時に『新選組始末記』を読んで、どうしてもこれは超えられないと思い、子母澤に会いに行って教えを請うたという。