「山本譲二」の版間の差分
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『みちのくひとり旅』で1981年末の「[[第23回日本レコード大賞]]」ロング・セラー賞を受賞、さらに「[[第32回NHK紅白歌合戦]]」の初出場も果たす。最終的なレコード売上は130万枚<ref>[[長田暁二]]『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、221頁。ISBN 4390116495</ref>を記録した。なお同曲がヒットしていた頃、あるテレビ番組の企画で無人の[[甲子園球場]]のマウンドでこの曲を独唱したり、さらに[[TBSテレビ]]の「[[ザ・ベストテン]]」では、上半身裸で[[ふんどし|褌]]一丁の姿をさらけ出しながら歌唱したこともあった。
こうした経緯から、'''北島ファミリー'''の旗頭的存在となった。代表的な歌曲に『みちのくひとり旅』のほか、『旅の終りはお前』『奥入瀬』『花も嵐も』『名もない花に乾杯を』『[[浪漫-ROMAN-]](「憲三郎&ジョージ山本」として)』など
=== 時代劇に出演 ===
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=== 事務所から独立 ===
[[2007年]]1月1日から[[北島音楽事務所]]を独立して個人事務所[[ジョージ・プロモーション]]を立ち上げた。暖簾分けという形であり、今も
=== 病気告白 ===
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[[2010年]]、“'''関門ジョージ'''”の名で「関門地デジすすめ隊」隊長に任命された。任命権者は不明だが、全国で著名人などが任命されている「地デジ化応援隊」の一種である。師匠・北島が既にその前年から[[デジタル放送推進協会]](Dpa)の要請で「地デジで元気!音頭」を作曲・歌唱してテレビのデジタル化に貢献し、総務省から同じく「地デジ化応援隊」隊員に指名されたという経緯がある。
地元下関では長らく[[北九州市]]の[[八幡テレビ・FM放送所|皿倉山]]から発射される電波をアンテナで直接拾う世帯がほとんどであったが、完全デジタル化により、その視聴エリアが狭まる。[[NHK山口放送局]]などではこれを地元に視聴者を奪い返すチャンスととらえており、アンテナの方向転換などの呼びかけを行っている。同局大使・[[牛田茉友]]が出演した同年[[7月24日]]放送のPR番組はそのことを周知徹底するために、
=== 交友関係にまつわるエピソード ===
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* [[サブちゃんと歌仲間]]
* [[熱血テレビ]]([[山口放送]])
*:まだヒットに恵まれない頃、この番組の司会者・[[井上雪彦]]アナウンサーが司会をしていた同局のラジオ番組に出演し、応援してもらった縁で、番組開始とともに準レギュラーとして時々出演していた。井上アナが急死した際は仕事のため葬儀等に参列することができず、番組にコメントを寄せた。
* [[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]](日本テレビ) - ゲスト、「浪漫-ROMAN-」発表のきっかけとなる。
* 土曜プレミアム・[[爆笑レッドカーペット|爆生レッドカーペット]] (2012年2月18日、フジテレビ) - [[TKO (お笑いコンビ)|TKO]]とのコラボカーペットでの出演
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[[Category:日本のアマチュア野球選手]]
[[Category:地上デジタル放送推進大使]]
[[Category:テイチクエンタテインメントのアーティスト]]
[[Category:ポニーキャニオンのアーティスト]]
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