「峰翁祖一」の版間の差分
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*[[永仁]]6年([[1298年]])24歳で出家。
*[[正安]]2年([[1300年]])、[[下野国]][[那須郡|那須]][[雲巌寺]]の[[高峰顕日]]([[後嵯峨天皇]]の皇子)と[[南浦紹明]]の両者に、後に[[大徳寺]]を開山した[[宗峰妙超]]と伴に参禅する。そして当時[[筑前国]][[大宰府]]にあった[[崇福寺 (福岡市)|崇福寺]]に南浦紹明(大応国師)を訪ね、印加を受ける。南浦紹明の高足で宗峰禅師の同門であるが宗峰からも学んだ。
*[[嘉元]]2年([[1304年]]) 南浦紹明に随って上京。その後同門の宗峰が紫野に[[大徳寺]]を創立したので、訪ねて[[碧巌録]]を研修した。
*[[延慶]]元年([[1308年]])南浦紹明が亡くなり崇福寺の三世となる。
*[[建武 (日本)|建武]]2年
*[[暦応]]元年
*暦応元年(1338年)美濃国[[恵那郡]][[阿木村]]に大禅寺(現存せず)を開創。
*[[暦応]]2年([[1339年]])[[三河国]][[渥美郡]]の[[真言宗]]の[[太平寺 (豊橋市)|太平寺]]を臨済宗に改宗し梵鐘を新築。
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