「大鷲平」の版間の差分

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夢乃茜 (会話 | 投稿記録)
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入幕後はその長身を生かし、肩越しから取る上手から攻める相撲で、主に[[幕内]]中位から下位で活躍した。だが、[[立合い]]が拙く、押しに弱いという欠点があったため幕内上位では活躍できなかった。[[横綱]]・[[大関]]陣との対戦圏内には2度進出したが、いずれも大敗している(1975年1月場所・・・5勝10敗、1976年5月場所・・・3勝12敗)。1974年11月場所で、優勝した[[小結]]・[[魁傑將晃|魁傑]]から14日目に挙げた勝利が、数少ない印象に残る勝ち星である。
 
東十両11枚目で2勝13敗と惨敗し、幕下陥落が確定した[[1978年]]1月場所を最後に、32歳で[[引退]]。1962年11月場所で序ノ口に付いてから引退するまで、約15年間を無休で過ごし、その間「988回連続出場」という記録を残している。また、大鷲の引退から[[御嶽海久司]]が関取に昇進するまでの37年間、長野県出身の関取は不在だった
 
引退後は[[年寄]]・[[中村_(相撲)|中村]]を襲名し、その後同・[[山響]]に名跡変更したが、[[1980年]]9月場所限りで[[廃業]]した。