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== 中国における亡佚 ==
[[六朝]]から唐を経て、北宋初の邢昺が『論語正義』を作成した際にも利用された。しかし、種々の要因から南宋以降、中国においては亡佚した{{Sfn|石本,青木|2017|p=5}}。書籍目録類を参照すると北宋前期王尭臣等の『崇文総目』、南宋前期成立の『群斎読書志』1177年成立の『中興館閣書目』、『遂初堂書目』のそれぞれに記録されているが、南宋後期の『直斎書録解題』には記録されていないことから南宋頃に失われたとされている<ref>{{Cite book |和書 |author=髙田宗平 |title=日本古代『論語義疏』受容史の研究 |date=2015-05 |pubisher=塙書房 |ISBN=4827312761 |pages={{要ページ番号|date=2019年12月}}}}</ref>。[[北宋]]の初め、[[邢昺]]によって『論語集解』、『論語義疏』をもとにし、詳細な注を加えた『論語注疏』([[十三経|十三経注疏]]にも入っている)という注釈が作られると、それが官許の論語注釈書となり、『論語義疏』はそれまでの注釈書としての地位を失ったためであろうといわれている<ref name=":1" />。[[江戸時代]]には[[荻生徂徠]]門下の[[根本武夷]]が[[足利学校]]蔵本より[[室町時代]]の写本を完本で発見・校刻し、これが[[清]]でも流通した。ただし、旧貌ではないともされ、校勘上問題がある{{Sfn|石本,青木|2017|p=5}}<ref>{{Cite web|url=https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/bunkazai/ashikagagakkoukyushouhon.html|title=足利学校旧鈔本(周易5、周易伝3、古文孝経1、論語義疏)|website=足利市公式ホームページ|publisher=足利市|accessdate =2019-12-13}}</ref>。また、敦煌本残巻が[[フランス]]に存する<ref>{{Cite journal|author=高橋均|authorlink=高橋均|title=敦煌本論語疏について:「通釈」を中心として|journal=東京外国語大学論集|issue=36|pages=350-333|publisher=東京外国語大学|date=1986-3-31|language=Japanese|url=httphttps://hdl.handle.net/10108/23448|issn=04934342|accessdate =2019-12-13}}</ref>。
 
== 脚注 ==