「九尾の狐」の版間の差分

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→‎日本: 玉藻前三国伝来は室町時代からのもの
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日本では平安時代ごろまで中国の書物に書かれた影響から九尾狐やキツネ全般は瑞獣のひとつとして認識されていたと考えられている。『[[延喜式]]』の治部省式祥瑞条には「九尾狐」の記載があり「神獣なり、その形赤色、或いはいわく白色、音嬰児の如し」とある<ref name=KASAMA>{{Cite book|和書|author=笹間良彦|year=1998|title=怪異・きつね百物語|publisher=雄山閣|pages=28-30|isbn=4-639-01544-5}}</ref>。
 
[[日本]]では、九尾の狐の妖怪として[[玉藻前]]の登場する物語が有名である。平安時代に[[鳥羽天皇|鳥羽上皇]]に仕えた玉藻前という美女の正体が「狐」で、退治されあったという物語は、14世紀に成立した『神明鏡』にすでに見られる。しかし、室町時代の『玉藻物語』などでは尾が2本ある7尺の狐<ref>{{Cite book|和書|editor=鷲尾順敬|year=1928|chapter=玉藻物語|title=国文東方仏教叢書 第2輯第7巻 文藝部|publisher=東方書院|page=43|doi=10.11501/1242378|quote=彼狐は 長七尺 尾二あるなり}}</ref>であると描写されており、九尾の狐とは語られていなかった。玉藻前が「九尾の狐」であるとされるようになったのは妲己が九尾狐であるという物語が玉藻前の物語に取り入れられるようになった[[江戸時代]]以降のことであると考えられる<ref>{{Cite book|和書|author=[[曲亭馬琴]]|year=1905|chapter=第十二 九尾狐裘|title=昔語質屋庫|publisher=忠雅堂|page=142|doi=10.11501/879628|quote=されば当初、三国の怪を竝べいふとき、周の褒姒にしたりけるが、唐山演義の書に、殷の紂王の寵妾蘇妲己は九尾の狐の化けたるよし作れるを見て、後には、ここにも褒姒を妲己とし、白狐に九尾の二字を被け、これを三国伝来の悪孤とはいふなり}}</ref>(妲己・九尾狐と玉藻前とについては、江戸時代前期に[[林羅山]]が『本朝神社考』の「玉藻前」の項目で『武王伐紂平話』の話を引いている<ref>{{Cite book|和書|author=林道春et al|year=1942|chapter=玉藻前|title=本朝神社考|publisher=改造社|page=316|doi=10.11501/1040132|quote=余嘗て全相平話武王伐伐紂書といふものを見るに、紂が死せる時、妲己化して九尾の狐となつて飛んで天に上る。太公望符を持して之を呪す。狐乃ち降る。}}</ref>)。玉藻前の正体が九尾の狐であり、それ以前には妲己や褒姒、華陽夫人というすがたで各地で悪事をなしていたという設定の物語を日本に定着させたのは、[[読本]]作家の高井蘭山が著した読本『絵本三国妖婦伝』(1803年~1805年)や岡田玉山『絵本玉藻譚』(1805年)などの作品である。
 
一方、おなじく読本作家であった[[曲亭馬琴]]は『[[南総里見八犬伝]]』において善玉である九尾の狐「[[南総里見八犬伝の登場人物#政木狐|政木狐]]」を登場させている。馬琴は玉藻前に代表される九尾の狐を悪玉であるとするイメージは『[[封神演義]]』などの物語に影響された近年のものであるとして退け、史書などを活用し、九尾の狐は元来瑞獣であるという考証を作品や随筆のなかで展開している。馬琴のように、九尾の狐は本来は神獣で、物語の上で悪い狐であると語られるのは俗説・荒唐無稽な創作である、という論考はそれ以前からもたびたび学者や文筆家などが指摘をしている<ref name=KASAMA/>。