「商用航空」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: 2017年版ソースエディター
m 誤字修正、耐空証明書のリンク化
7行目:
[[アメリカ合衆国]]では、1926年の航空通商法制定により、基準・[[ファシリテーション]]化・助成が確立され、商用航空が組織だてられた。[[アメリカ合衆国商務省|商務省]]内に航空課が設立され、ウィリアム・P・マクラッケン・ジュニアが局長に就任した。彼は商用航空を促進するために、"空港がないコミュニティーは、[[航空扱い|エアメール]]が届かないコミュニティーになる"と各町の指導者たちに訴えかけた。
 
彼は1929年にCollier's誌への寄稿で、1927年初頭にハーバート・ダーグが南米で推進したことを引用して、「商用航空はーロー崇拝に触発され、ヒーローの上に築かれた最初の産業である」と言及している。 大西洋横断飛行の後、[[チャールズ・リンドバーグ]]はグッゲンハイム航空振興財団の費用で48州のツアーを行った。民間航空の歴史はこの時から始まった。<blockquote>その後数週間、日曜日の道路は渋滞していた。最初のエアホップを購入するために、セントルイスのリンドバーグの母港である[[セントルイス・ランバート国際空港|ランバート飛行場]]に人々は挙って自動車で移動しようとしたのである<ref>[[William P. MacCracken, Jr.]] (December 21, 1929) "Its Hard to get You Up", ''[[Collier's]]''</ref>。</blockquote>航空局は、[[事業用操縦士|民間パイロット]]の免許証・[[耐空証明|耐空証明書]]の発行、[[航空事故]]の調査を担当していた<ref>[https://www.faa.gov/about/history/milestones/media/The_First_Federal_Regulator_for_Aviation.pdf The First Federal Regulator for Aviation] from [[Federal Aviation Administration]]</ref>。
 
=== 戦後の航空機 ===