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一般に、[[狩猟]]や[[漁撈]]など採集により生活している民族は、採集に移動の必要があるため一箇所に定住しない。しかしアイヌの場合、採集民族ではあるが漁撈への依存が強かったため、一箇所に定住し、なおかつ立地もそれによって決められていた。たとえば、[[サケ]]の産卵地などの河川沿いに一箇所に移住するなど、{{lang|ain-Kana|コタン}}は間は大体5 - 7kmほどの間隔で存在していた。
 
{{lang|ain-Kana|コタン}}は数軒の家により構成されており、たいていは5戸 - 7戸から成る。10戸以上は例外的な大集落で、20戸を超えるものは[[場所請負制]]などの影響による労働力動員の結果である。{{lang|ain-Kana|コタン}}の構成要員は、1つまたは複数の{{lang|ain-Kana|エカシ・イモロ}}と呼ばれる父系の集団の成員であり、その長は{{lang|ain-Kana|コタンコ}}(村を持つ者)と呼ばれていた。{{main2|村落の行政については「[[村請制度|郷村制]]」や「[[役蝦夷]](村役人)」を}}
 
{{lang|ain-Kana|コタン}}はそれぞれある一定の地域における資源を{{lang|ain-Kana|コタン}}内で共有する権利を持っており、他の{{lang|ain-Kana|コタン}}のものが別の{{lang|ain-Kana|コタン}}の領域を侵すと懲罰に処せられたという。{{lang|ain-Kana|コタン}}は茅葺の家屋({{lang|ain-Kana|[[チセ]])}}、[[ヒグマ|小熊]]を飼うための檻({{lang|ain-Kana|ヘペ<small>レ</small>セッ}})、食糧を貯蔵する[[高床式倉庫]]({{lang|ain-Kana|プ}})に共同の[[便所|厠]](男用のものが{{lang|ain-Kana|アシンル}}、女用のものが{{lang|ain-Kana|メノコル}})、さらに{{lang|ain-Kana|[[イナウ]]}}を捧げる祭壇({{lang|ain-Kana|ヌサ}})で構成されている。また、{{lang|ain-Kana|コタン}}の附近には{{lang|ain-Kana|[[チャシ]]}}([[砦]]のようなもの)があることもあった。
<!--それぞれの{{lang|ain-Kana|コタン}}には名前があった。{{lang|ain-Kana|コタンコカムイ}}は[[シマフクロウ]]をさす。-->
 
それぞれの{{lang|ain-Kana|コタン}}には名前があり、その{{lang|ain-Kana|コタン}}名がのちに和人によって地名とされたケースがまま見られる。[[北海道]]や[[樺太]]、[[北方領土]]や[[千島列島]]の地名の中に「こたん」という言葉が入っている例がそれである(漢字では「古丹」などが当てられている。)。