「霧島酒造」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
38行目:
[[1916年]]([[大正]]5年)、創業者の江夏吉助(えなつ きちすけ)が都城で[[芋焼酎]]の製造を始めたのが会社の起源である。
 
[[1955年]]([[昭和]]30年)、工場近くで掘り当てた[[水|天然水]]を「'''霧島裂罅水'''<ref>「裂罅水」とは、地中の岩石の割れ目・[[節理]]や[[断層破砕帯]]などに溜まった水をいう。霧島裂罅水の場合は、厚い[[シラス (地質)|シラス]]層の下、地中約100mの[[溶結凝灰岩]]層に滞水している。</ref>」(きりしまれっかすい)と命名し、それ以降は一貫して「霧島裂罅水」で仕込んだ焼酎を中心に作り続けている。
 
「乙類焼酎」を「本格焼酎」の名称・表示にすることを提案したのは、二代目社長・江夏順吉(えなつ じゅんきち 1915-1996)で、[[1957年]](昭和32年)に[[熊本県]]で開かれた「九州旧式焼酎協議会」での会議で「本格焼酎」の名称使用を提唱した。そして、[[1962年]](昭和37年)の[[大蔵省]]令により法的にも「本格焼酎」の呼称が正式に認められた。