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フランチェスコ・ダ・ミラノは、すでに生前から並び立つ者なき[[ヴィルトゥオーソ]]として高い評価を得ており、ちょうど[[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]の場合のように、「神々しいフランチェスコ( ''il Divino'' )」と呼ばれていた。フランチェスコのパトロンで[[占星術師]]だったルーカス・グヮリーコ(Lucas Guarico)は、フランチェスコ・ダ・ミラノについて「あらゆる[[音楽家]]の中で最も重要で最も秀でた音楽家であり(……)、彼が奏でるのがリュートであろうとなかろうと、[[オルペウス]]や[[アポローン]]をも凌いでいるのです」と教皇パウルス3世にしたためている。
 
フランチェスコ・ダ・ミラノの作品は、[[1536年]]から[[1603年]]までイタリアのほか[[フランス]]や[[ドイツ]]、[[スペイン]]、[[スイス]]、[[オランダ]]で出版された、40点以上の別々の[[タブラチュア]]によって発見された。さらに25の別々の手稿譜も、同じように広く流布した。フランチェスコ・ダ・ミラノの作品は、ルネサンス・リュートのための[[幻想曲|ファンタジア]]という楽種と、[[リチェルカーレ]]という[[楽式]]に、つねに関わり合っている。いずれも[[対位法]]的な楽曲構成において、[[モテット]]に影響された[[器楽曲]]である。
 
フランチェスコ・ダ・ミラノの作品は、こんにち[[リュート]]や[[ギター]]の演奏を通じて親しまれている。