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=== 劇画工房 ===
[[1959年]]、[[辰巳ヨシヒロ]]が中心となり「関西漫画家同人」の所属の[[石川フミヤス]]、[[K・元美津]]、[[桜井昌一]]、[[山森ススム]]、[[佐藤まさあき]]、そして[[さいとう・たかを]]ら7人で劇画制作集団「[[劇画工房]]」が結成される。さいとう・たかをは当初「説画」という名称にこだわっていたが、辰巳の説得に折れて参加することになった。結成時の話し合いに同席していた[[松本正彦]]もまた、自らの付けた名称「駒画」にこだわり参加を渋っていたが、4月になってようやくに加入、後に8人体制となる。
 
活動に先んじて「劇画工房ご案内」という7の連名によるされた挨拶状(はがき)150枚が、新聞社、出版社や漫画家に向けて送付された。[[劇画工房#劇画宣言|劇画宣言]]と呼ばれる。この宣言文の宣伝効果は絶大で、漫画業界に「劇画」という言葉が定着する。[[手塚治虫]]の元にも届けられ、手塚は後に自伝「ぼくはマンガ家」でこの挨拶状を取り上げている。
 
この新しいジャンル「劇画」は貸本漫画読者の間でたちまち人気となり、『影』(日の丸文庫)、『街』([[セントラル文庫]])、『摩天楼』([[兎月書房]])等、劇画短編集が多数出版され貸本漫画の黄金期が始まることになった。ところが、1959年8月「劇画工房」メンバーは東京の辰巳ヨシヒロ宅に急遽招集され、そこで辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、松本正彦の3人が「劇画工房」からの脱退を表明、後に解散となる。
 
=== 劇画ブーム ===