「オトン (ブルゴーニュ公)」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[パリ伯]][[ユーグ大公]]と東フランク王[[ハインリヒ1世 (ドイツ王)|ハインリヒ1世]]の娘ヘートヴィヒとの間の息子次男。父ユーグはオトンにオセール伯位を与えた。また、956年4月8日には、[[ブルゴーニュ公]][[ジルベール (ブルゴーニュ公)|ジルベール・ド・シャロン]]の娘で、ブルゴーニュ伯、ボーヌ、[[オータン]]、アヴァロン、トロワ、ディジョンおよび[[シャロン伯]]の女相続人であったリューガルと結婚した。しかし、父ユーグの死後、祖父の西フランク王[[ロテール (西フランク王)|ロテール]]は、オトンの権力をそぐため、オトンが若年であることを理由に、ブルゴーニュの領地の一部を取り上げ、自らの王国に併合した。
 
965年に死去し、弟[[アンリ1世 (ブルゴーニュ公)|ウード=アンリ]]がブルゴーニュ公位を継承した。