「襄公 (魯)」の版間の差分

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==生涯==
魯の成公十八18年([[紀元前573年]])、成公が死去すると、4歳の姫午が君主の位についた。これが魯の襄公である。襄公は[[季孫行父]]を[[丞相]]として、魯国の安定をはかった。魯の襄公5年([[紀元前568年]])、大臣の季孫行父が死去したとき、季孫行父は薄葬をもって葬儀を進めるよう遺言しており、襄公はこれに感動して季孫行父を廉吏とたたえ、季孫行父の諡号を「文」(季文子)とした。
 
魯の襄公二十一21年([[紀元前552年]])、襄公は自ら[[晋 (春秋)|晋]]の[[平公 (晋)|平公]]のもとに朝拝した。魯の襄公三十一31年([[紀元前542年]])、襄公は死去し、太子の[[魯公野|姫野]]が即位した。
 
== 家族 ==