削除された内容 追加された内容
節の見出しを変更(「注」→「脚注」)。誤った入れ子構造対応: 箇条書き内のspanタグについて、各行で指定する様に変更
Cewbot (会話 | 投稿記録)
46行目:
以上のように、元始年間に、甄豊と甄邯は王莽の側近として台頭し、朝廷で威勢を振るい始めた。元始3年([[3年]])、[[王宇]]、[[呂寛]]、衛氏一族が誅滅される事件が起きると、甄豊は王莽の意を汲み、[[何武]]、[[鮑宣]]、彭偉などの名士・豪傑数百人を連座により死に追いやっている。
 
[[居摂]]1年([[6年]])3月、甄豊は太阿、右拂をも兼任し、[[孺子嬰]]を補佐する。居摂2年([[7年]])9月の東郡[[太守]][[テキ義|翟義]]の反乱の際には、王舜とともに夜間に宮中を巡回し、王莽を護衛した。
 
=== 不平の末の最期 ===