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=== 原始・先史 ===
; 旧石器時代
現在の岡山県の地域には、[[鷲羽山]][[遺跡]]([[倉敷市]])などの原始からの[[遺跡]]が存在しており、[[日本の旧石器時代|旧石器時代]]から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の[[土層 (考古学)|土層]])から[[ナイフ形石器]]が出土しており、その上層から約1万年前の[[細石刃]]も出土している。恩原遺跡では2基の[[炉]]跡が検出されている。うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に[[木炭]]塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である<ref>狩野久「吉備の国づくり」 藤井学・狩野久・竹林栄一・倉地克直・前田昌義『岡山県の歴史』山川出版社 [[2000年]](平成12年) 10 - 11ページ</ref>。
; 縄文時代
地球の[[温暖化]]による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが[[瀬戸内市]]牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。[[縄文時代]]も後期になり、[[津雲貝塚]]で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では[[水田]]遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら[[水稲耕作]]も行われた。