「メタコメット」の版間の差分
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== 「フィリップ王戦争」 ==
[[File:King Philip's Seat.jpg|thumb|200px|「フィリップ王の椅子」とされる岩(ロードアイランド州マウントホープ)]]
ワンパノアグ族では、マサソイト酋長の死後、長男のワムスッタが新酋長になるが、白人側はマサソイトと結んだ両者の平和と[[プリマス植民地]]のための12,000[[エーカー]](48.5 km²)の土地を譲渡する条約を超えて、入植地を拡大して行った。
そのためワムスッタは不快感をあらわにしていた。白人と
[[1674年]]12月に白人側に付き、[[キリスト教]]に改宗したワンパノアグ族の[[ジョン・ササモン]]がメタコメット酋長たちが白人に対して戦闘準備をしているとプリマス入植地の総督[[ジョシア・ウィンスロー]]に告げた。(ササモンは後に別部族の者に殺害された。)そして[[1675年]]6月にメタコメットは入植地を拡大し、自分達の土地を奪おうとする白人に対抗するため、ワンパノアグ族と同盟を結んでいた他部族と共に、白人の入植地を攻撃し、白人入植者達との間で戦争が勃発した。
この戦争は白人によって「フィリップ王戦争」と呼ばれた。白人社会から見れば、戦争には司令官が必要なものであり、メタコメットはまさにその「司令官」たる「大酋長」に思えたからである。しかしメタコメットは[[合議制]]の
結局[[1676年]]8月12日メタコメット酋長が戦死し、白人側の勝利で戦争は終結するが、死んだメタコム酋長の遺体は白人達により八つ裂きにされ、切断された首は槍の先に突き刺され、白人達の村に約20年近く見せしめとして飾られた。そして捕虜となったメタコメット酋長の家族は奴隷として[[バミューダ諸島]]に送られた。
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