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=== 不平の末の最期 ===
甄豊は、王舜、[[劉キン (学者)|劉歆]]らとともに、王莽を早くから補佐していた。しかし、王莽が摂皇帝となってから皇帝に即位するまでは、甄豊ら古くからの腹心ではなく、符命を献上するなどした新たな部下たちが王莽に信任されている。この状況に甄豊は不満を抱いたが、王莽も甄豊のその内心は見抜いていた。
 
[[始建国]]1年([[9年]])、王莽は新を創建するとともに、甄豊を広新公に封じる一方で、更始将軍に降格した。これにより、甄豊は王興、[[孫建]]、王盛とともに四将の1人となったものの、餅売り出身の王盛と同列にされたことになる。甄豊とその子甄尋は不満を抱きながらも、黙り込むしかなかった。