「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の版間の差分

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===建設1902年 – 1906年===
[[File:Russell Square station.jpg|thumb|{{仮リンク|[[レスリー・グリーン|en|Leslie Green}}]]設計による[[ラッセル・スクウェア駅|ラッセル・スクエア駅]]。グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道の多くの駅が同様の設計の駅舎を備えた。]]
 
ロンドン地下電気鉄道から資金提供を受け、ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道とグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道の合併を待たずに直径およそ{{convert|11|ft|8|in}}のトンネル2本を並行させる方式で1902年7月にナイツブリッジから[[シールドトンネル|トンネル掘削]]の建設工事が始められた<ref name="page_181">[[#Reference-wolmar|Wolmar 2004]], p. 181.</ref>。ロンドン地下電気鉄道は1904年10月発行の年次報告書にグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道の工事進捗率は80%と記載している<ref name="progress of work">{{cite news
|url=http://infotrac.galegroup.com/itw/infomark/689/394/60787043w16/purl=rc1_TTDA_0_CS169144142&dyn=3!xrn_1_0_CS169144142&hst_1?|title=Railways and Other Companies|date=14 October 1904|work=The Times|page=10|accessdate=21 March 2009}}</ref>。
駅舎の地上構造物は建築家{{仮リンク|[[レスリー・グリーン|en|Leslie Green}}]]が設計した、ロンドン地下電気鉄道標準設計のものが採用された<ref name="LGreen">[[#Reference-wolmar|Wolmar 2004]], p. 175.</ref>。駅舎は鉄骨2階建てで、赤い釉薬をかけた{{仮リンク|建築用釉テラコッタ|en|glazed architectural terra-cotta|label=テラコッタ}}ブロックで表面が飾られるとともに、大きな半円形の窓が上階に設けられた<ref name="exceptions" group="note">ディストリクト鉄道の既存駅、サウス・ケンジントンとグロースター・ロードには大深度路線のプラットホームへのエレベーターを追加するため、ロンドン地下電気鉄道様式の駅舎が増築された。ディストリクト鉄道のアールズ・コートとバロンズ・コートの駅舎はハリー・W・フォード設計で改築された。フィンズベリー・パーク駅はグレート・ノーザン鉄道が独自の設計で建設し、地上建造物は設けられなかった。</ref>。地表近くに建設され、階段のみが設置されたフィンズベリー・パークと、長いスロープが設けられた[[アーセナル駅|グリスピー・ロード駅]]を除き、各駅には駅舎とホームを結ぶ2から4基の[[エレベーター]]と非常用螺旋階段が設けられた{{#tag:ref|アメリカの[[オーチス・エレベータ・カンパニー|オーチス]]製<ref name="W188">[[#Reference-wolmar|Wolmar 2004]], p. 188.</ref>のエレベーター{{sfn|Wolmar|2005|p=188}}2基が直径{{convert|23|ft|m|adj=on}}の穴に設置された<ref>[[#Reference-connor|Connor 1999]], plans of stations</ref>。各駅の予想利用人数によりエレベーターの設置基数が決められ、たとえばラッセル・スクエア、グロースター・ロード、カレドニアン・ロードには当初4基が設置された一方、ダウン・ストリートには2基しか設置されなかった<ref>{{cite web| title = Clive's Underground Line Guides, Lifts and Escalators| publisher = Clive D. W. Feathers| url = http://www.davros.org/rail/culg/vertical.html| accessdate =27 May 2008}}</ref> |group=note}}。
 
建設工事の大半は1906年の秋までに完了<ref name="page_181"/>し、1906年12月の開業に向けた試運転が行われた。ディストリクト鉄道の半地表路線が1905年に電化され、信号システムも更新されたことで線路容量が十分増加したことでサウス・ケンジントンから東の大深度路線建設の必要性が薄れ、建設の権利を失効させることとなった<ref name="lapse">[[#Reference-badsey|Badsey-Ellis 2005]], p. 218.</ref>。[[1846年軌間統一法]]後の建設であり、[[標準軌]]が採用されている<ref>{{Cite web|url=http://www.jametro.or.jp/world/uk.html|title=イギリス ロンドン|publisher=日本地下鉄協会|accessdate=2015-05-03}}</ref>。