「ミハイル・シェープキン」の版間の差分
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しかし、帝室劇場のココーシキンなど多くは紋切り型の演技の支持者であった。シェープキンはココーシキンなど指導部のことを理解してるふりをして、舞台では批判覚悟で自己流でやった。これは上層部などから批判されたが、上手いため認めざるを得ない状態であった。
シェープキンは演技論などを著
また、後にスタニスラフスキーに影響を与えることになるグリケリア・ニコラーエヴナ・フェドートワは、16歳の時、
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他にも[[イワン・ツルゲーネフ|ツルゲーネフ]]や[[タラス・シェフチェンコ|シェフチェンコ]]、[[アレクサンドル・ゲルツェン|ゲルツェン]]、[[アレクサンドル・オストロフスキー (劇作家)|オストロフスキー]]、気まぐれで波のある役者であったパーヴェル・ステパーノヴィチ・モチャーロフ、[[アレクサンドル・プーシキン|プーシキン]]、[[ミハイル・レールモントフ|レールモントフ]]などとも交流があった。
またヨーロッパ全土で有名であった[[コメディ・フランセーズ|コメディフランセーズ]]の古典主義悲劇女優、エリザ・ラシェリとも交流があった。
== 参考文献 ==
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