「シャルリー・エブド」の版間の差分

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ケルン事件の背景を追加
同じ記事に別の解釈も示されています。
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[[2016年]]1月、襲撃事件があった建物の正面に追悼記念碑が建てられた。
 
同じく[[2016年|2016年1月]]、[[ケルン大晦日集団性暴行事件]]を受けてアイラン・クルディ<small>([[:en:Death_of_Alan_Kurdi|英語版]])</small>が成長していれば痴漢になっていたという風刺画を掲載して人種差別的だという批判を浴びた<ref name=":4">{{Cite web|title=水死した難民の3歳児が「痴漢」に シャルリー・エブド風刺画に批判|url=https://www.cnn.co.jp/world/35076297.html|website=CNN.co.jp|accessdate=2020-08-18|language=ja}}</ref>。一方、{{仮リンク|マージド・ナワズ|en|Maajid Nawaz}}はこれについて、「我々の中にある難民への反感を告発したものにほかならない」と解釈した<ref name=":4" />。
 
[[2016年]]4月、『シャルリー・エブド』に画を連載していた{{仮リンク|カトリーヌ・ムリス|fr|Catherine Meurisse}}が事件後の長く苦しい日々のなかから軽やかさ(癒し)を見出すまでの経緯を美しい絵で綴った『''La légèreté''(軽やかさ)』を出版(Dargaud)<ref>謝辞に[[酒井健治 (作曲家)|酒井健治]]氏の名前がある。ローマのヴィラ・メディチの学生寮でバッハの「シャコンヌ」(ピアノ)を弾いた青年が彼だと思われる。「--- 青年『バッハのシャコンヌBWV1004、知ってる?』―カトリーヌ『うん、知ってる』---(知ってるというより)あらためて知ったのだ。1月7日(襲撃事件)より前にはよく聴いていたのに、あれ以来、ずっと聴いてなかった、どんな感情に襲われるのかわからなくて、怖かった……日が沈む。サン・ピエトロ大聖堂のクーポラの向こうに。青年はずっとピアノを弾いていた。日が沈む。そして冬も去っていく」</ref>。