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両親は[[ベラルーシ]]・[[ホメリ|ゴメリ]]の出身。父はユーリ・シャラポフであり、ロシア語圏では男性名詞・女性名詞に苗字が分かれており、女性名詞では『シャラポワ』男性名詞では『シャラポフ』である。ベラルーシ人の両親の間で生まれたシャラポワは、ロシアで生まれたためにロシア人扱いになっている。2010年10月に[[NBA]]の[[ロサンゼルス・レイカーズ]]に所属する[[サーシャ・ブヤチッチ]]と婚約したが2012年8月に解消したことを明らかにした。
 
[[1986年]]に起きた[[チェルノブイリ原子力電所事故]]の影響により、ホメリに居を構えていた両親(出生前当時、妊娠4か月)がロシア・西シベリアにある[[ニャガン]]へ移住を決意し同地で出生。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃[[マルチナ・ナブラチロワ]]に才能を見出され、[[フロリダ州]]の[[ニック・ボロテリー・テニスアカデミー]]への入学を勧められる。7歳の頃父親とともに渡米したが、アカデミーの入学資格は8歳以上だった為に入学できなかった<ref>{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20110707185603/http://www.thisislondon.co.uk/news/article-11732071-masha-was-a-star-at-four.do|title='Masha' was a star at four|accessdate=2019/08/07|publisher=}}</ref>。また、高額の入学金、授業料を捻出する為に父のユーリは2年間アメリカで働き続け、シャラポワは個人コーチのもとで練習を続けた。シャラポワが9歳の時、再びアカデミーを訪れ入学テストを受けると、その類稀な才能を目にしたニック・ボロテリーにより特別奨学生としての入学を許可された<ref>{{Cite web|title=The Times & The Sunday Times|url=https://www.thetimes.co.uk/|website=www.thetimes.co.uk|accessdate=2019-08-07|language=|publisher=}}</ref>。
 
== 選手経歴 ==
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「とんでもない過ちを犯してしまいました。このような形で4歳のころから愛し続けているテニスのキャリアを終えたくはない。機会が与えられるのであれば……もう一度、試合の場に戻ってきたいんです。」と引退への気持ちはないことを明かした<ref>{{Cite web|url=http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201603080020-spnavi |title=シャラポワ薬物違反から見える問題点 厳しさ増すテニス界のドーピング検査|author=内田暁|work=スポーツナビ|publisher=Y's Sports Inc. |date=2016-03-08|accessdate=2016-03-09}}</ref>。
 
競技での収入を遥かに上回る収入源であるスポンサーの[[ナイキ]]・[[ポルシェ]]・[[タグ・ホイヤー]]など大手企業が契約を停止した<ref>{{Cite news|url=http://news.tennis365.net/news/today/201603/108647.html |title=シャラポワ 大型3社契約停止|agency=STATS - AP|work=tennis365.net|publisher=Fubic Corporation|date=2016-03-08|accessdate=2016-03-11}}</ref> が、ラケットのスポンサーであるヘッドは「彼女が見せた、自身の過失を公表し、認めたことへの誠実さと勇気は称賛に値する。マリアは過ちを犯してしまったかもしれないが、我々は彼女との契約を継続する。」とコメント<ref>{{Cite news|url=http://news.tennis365.net/news/today/201603/108678.html |title=シャラポワ ラケット契約継続|agency=STATS - AP|work=tennis365.net|publisher=Fubic Corporation|date=2016-03-10|accessdate=2016-03-11}}</ref>。
 
[[6月8日]]、[[国際テニス連盟]](ITF)がシャラポワに対して「2016年1月26日に遡ってドーピング違反により『2年間の選手資格停止処分』を科した」ことを発表した<ref>{{cite press release | title = Decision in the case of Maria Sharapova | publisher = [[:en:International Tennis Federation|International Tennis Federation]] | date = 2016-6-8| url = http://www.itftennis.com/news/231175.aspx| accessdate = 2016-6-9}}</ref><ref name="Sharapova">{{Cite news|title=シャラポワ2年間資格停止 全豪8強無効、リオも×|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-06-09|url=http://www.nikkansports.com/sports/news/1660266.html|accessdate=2016-06-09}}</ref>。この処分決定によりシャラポワは全豪オープン女子シングルスベスト8の成績と[[2016年のWTAツアー|2016年WTAツアー]]ランキングポイントが無効となり、賞金の返還も求められる。またシャラポワは[[2016年リオデジャネイロオリンピックのテニス競技|リオデジャネイロオリンピックテニス競技]]ロシア代表に選出されていたが、これによりオリンピックへの出場資格も失った<ref name="Sharapova"/>。今回のITFの処分について、シャラポワ側は「2年間の資格停止は重すぎて受け入れることは出来ない」として[[スポーツ仲裁裁判所]](CAS)に提訴<ref name="Sharapova"/><ref>[https://www.facebook.com/sharapova/posts/10153477001037680 Please see my statement on the ITF’s decision on my Facebook page] Maria Sharapova Official site 2016-6-8</ref>、10月4日に資格停止期間を9か月短縮して15か月とする裁定が下された<ref>{{citenews|url=http://www.thetennisdaily.jp/sp/news_detail.asp?idx=119105&page=1&code_s=100010001000 |title=シャラポワの活動停止処分を15か月に減刑|publisher=THE TENNIS DAILY|date=2016-10-5|accessdate=2016-11-3}}</ref>。年間最終ランキングは昨年の4位から91位まで急落。
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シャラポワはテニス選手のみならず、[[ファッションモデル]]としても多方面の活動を繰り広げており<ref>{{Cite web|title=【写真特集】コート外でも魅了~マリア・シャラポワ~|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3043349|website=www.afpbb.com|accessdate=2019-05-26|language=|publisher=}}</ref>、女子スポーツ選手としては世界トップの収入を誇る([[スポーツ選手長者番付]])。
 
[[2007年]]2月14日、シャラポワは[[国際連合開発計画]]親善大使に就任し、[[チェルノブイリ原子力電所事故]]後遺症に苦しむ祖国ロシア・[[ベラルーシ]]・[[ウクライナ]]の8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表した。
 
2011年の東レ・パンパシフィック・オープンでは、東日本大震災で被災した福島県の中高生を招き、激励している。
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{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:しやらほわ まりあ}}
[[Category:ロシアの女子テニス選手]]