「バギオ」の版間の差分

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|date=November 2011
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フィリピン内で[[台風]]が多く襲来するのがルソン島北部で、[[タガログ語]]で台風([[熱帯低気圧]])を'''[[w:tl:Bagyo|Bagyo]]'''というが、これはバギオの地名に由来する<ref>{{citeweb|url=http://bylines.news.yahoo.co.jp/moritamasamitsu/20131108-00029611/ |title=未曾有の台風30号、フィリピン直撃 |publisher=[[森田正光]] |date=2013-11-08 |accessdate=2013-11-10}}</ref>。
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バギオ開発の当初、道路建設で難渋したアメリカ人は日本人の勤勉さに着目し、日本からの移民にその建設を託した。移民日本人は劣悪な労働条件のもと峻烈を極める自然と闘い多くの犠牲者を出しながらようやく[[1903年]]に完成した。道路の名前は建設責任者の名前を取ってケノン道路と呼ばれているが現地では日本人が造った道路と認識されているとのこと。
 
この建設に従事した日本人の一部はフィリピン人と結婚するなどして現地に残った。彼らの中にはその勤勉さでもって事業に成功した人も多く、結果、現地の日本人の地位は次第に向上し、[[第二次世界大戦|第二次大戦]]が起こる以前の時代その繁栄はピークに至った。
 
[[テレシア・ウンノ|シスター海野]]は[[1973年]]に北ルソン比日友交協会を設立、[[1974年]]奨学金制度を始めるなど[[日系人]]の地位向上に尽力した。一方ではフィリピン人を貧困から救うため[[1983年]]に農業協同組合を創設するなどフィリピン人の生活向上にも多大に尽力し、バギオ市のあるベンゲット州から名誉州民の称号を贈られた。[[1989年]]シスター海野が死去した後、その活動は[[カルロス寺岡]]・[[寺岡マリエ]]の兄妹、[[尾辻ヨシ]]の各人に引き継がれ今日に至っている。その後の日系人社会の発展と現地のフィリピン人の生活向上に尽くしてきたことで、彼らは比日両国民から尊敬を集めている。
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* {{仮リンク|フィリピン大学バギオ校|en|University of the Philippines Baguio}}
* {{仮リンク|バギオ大学|en|University of Baguio}}
* [[コーディリエラ大学]] ([[:en:University_of_the_Cordilleras|University of the Cordilleras|University of the Cordilleras]])
 
* 語学学校(英語)
** アジア人向け英語学校が10校以上有り(韓国人経営が多い)、講師はフィリピン人で、生徒は韓国人が最多で次いで日本人が多い。そのため、バギオの街中では日本人に出くわすことが少なくない。
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== 外部リンク ==
* [http://www.baguio.gov.ph/ Official website of Baguio City]
 
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[[Category:バギオ|*]]
[[Category:フィリピンの都市]]
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