「M4中戦車」の版間の差分

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M4が最初に戦闘に投入されたのは、[[北アフリカ戦線]]の[[エル・アラメインの戦い]]であった。アメリカ軍の機甲師団を投入しようという計画もあったが、補給の問題もあって[[レンドリース]]という形式で[[イギリス軍]]に送られたものであった<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1973|p=152}}</ref>。エルアラメインに送られたM4は初期型のM4A1、M4A2であったが、[[5 cm KwK 39|50mm 60口径砲]]搭載の[[III号戦車]]が主力の[[ドイツアフリカ軍団]]にはM4は難敵であり<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1971|p=161}}</ref>、ドイツ軍戦車は一方的に撃破された。特にM4が猛威を振るったのが75㎜の榴弾による[[8.8 cm FlaK 18/36/37|88㎜砲]]への攻撃であり、今までのイギリス軍戦車にはなかった破壊力で、次々と88㎜砲を撃破したことがドイツ軍の致命的な痛手となり、イギリス軍の勝利に大きく貢献した<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1971|p=178}}</ref>。
 
しかし、その後の[[カセリーヌ峠の戦い]]で[[VI号戦車ティーガーI]]と戦ったアメリカ軍のM4は、アメリカ軍戦車兵が戦車戦に不慣れなこともあって苦戦し、アメリカ軍は[[M3中戦車]]と[[M3軽戦車]]も含めて183輌の戦車を失っている<ref>{{cite web|url=https://apnews.com/1bc58203eddfb8a9c3303697909d9b88| title=Kasserine Pass a Baptism of Fire for U.S. Army in World War II| location=
United states| accessdate=2020-08-18| language=English}}</ref>。アメリカ軍はVI号戦車ティーガーIの脅威を知ると共に、ソ連から[[V号戦車パンター]]の情報を仕入れていたが、どちらの戦車も接触頻度が稀であったので、少数が配備される重戦車であると勘違い誤った認識をして、既に決定していた76.2㎜砲を搭載する以上の対策をとることはなかった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=18}}</ref>。一方で、イギリス軍はM4の対戦車能力向上のため、アメリカ軍の76.2mm砲よりは強力な[[オードナンス QF 17ポンド砲|17ポンド(76.2mm)対戦車砲]]を搭載した[[シャーマン ファイアフライ]]の開発を行っている<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1973|p=181}}</ref>。
 
アメリカ軍の分析とは異なり、[[ノルマンディー上陸作戦]]からのフランスでの戦いで、M4とパンターやティーガーIとの交戦頻度は高く、75㎜砲搭載型はおろか76.2㎜砲搭載型も非力さが明らかになった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=23}}</ref>。東部戦線で経験を積んだ一部の[[ドイツの戦車エース一覧|ドイツの戦車エース]]たちの活躍もあって、M4がドイツ軍戦車に一方的に撃破されたという印象も強く、とくに[[エルンスト・バルクマン]][[親衛隊軍曹]]はパンターに乗って多数のM4を撃破したとされている。バルクマンの有名な逸話は、1944年7月27日に[[サン=ロー]]から[[クータンセ]]へ続く街道の曲がり角のところで、アメリカ軍のM4隊と交戦し、たった1輌で9輌のM4を撃破してアメリカ軍の進撃を足止めしたとされる、のちに『バルクマンコーナー』と称された活躍談であった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=38}}</ref><ref>{{Harvnb|PANZER №690|2019|pp=88-91}}</ref>。このような一部の限られた活躍談をもって、大戦中のアメリカ軍の証言では、1台のパンターに5台のM4で戦わなければならない、と徹底されていたと主張する者もいるが<ref>『戦車メカニズム図鑑』[[上田信 (イラストレーター)|上田信]]著、[[グランプリ出版]]、p44。</ref>、そのような事実は全くなく、『バルクマンコーナー』でのバルクマンの活躍談も、歴史研究家で多くの戦車戦記での著作がある{{仮リンク|スティーヴン・ザロガ|en|Steven Zaloga}}の調査によれば、アメリカ軍に該当する戦闘記録がないことが判明し、ドイツ軍の[[プロパガンダ]]ではなかったかとの指摘もあっている<ref>{{Harvnb|Steven Zaloga|2015|pp=312-313}}</ref>。
アメリカ軍の分析とは異なり、[[ノルマンディー上陸作戦]]からのフランスでの戦いで、M4とパンターやVI号戦車との交戦頻度は高く、75㎜砲搭載型はおろか76.2㎜砲搭載型も非力さが明らかになった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=23}}</ref>。アメリカ軍は対策として、急遽、新型の[[高速徹甲弾]]の生産を強化したが、この徹甲弾は、十分な数は行き届かなかったが、500mで208㎜の垂直鋼板貫通力を示し、76.2㎜砲搭載型M4の強力な武器となった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=22}}</ref>。また、M4は信頼性・生産性など[[工業製品]]としての完成度は高く、大量の補充と高い稼働率によって、高価すぎて且つ複雑な構造のドイツ軍戦車を総合力で圧倒するようになり<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=20}}</ref>、また、アメリカ軍戦車兵も熟練して、M4がパンターを一方的に撃破する戦闘も増えている。[[バルジの戦い]]において、1944年12月24日に、[[フレヌ]]に接近してきたアルフレッドハーゲシェイマー親衛隊大尉とフリッツ・ランガンケ親衛隊少尉が率いる11輌のパンターG型を、第32機甲旅団D中隊のM4シャーマン2輌が迎えうって、遠距離砲撃で6輌撃破し、2輌を損傷させて一旦撃退している。その後、ハーゲシェイマー隊は残った3輌のパンターで再度フレヌを目指し、途中で接触した[[M5軽戦車]]1輌を撃破したものの、またM4シャーマンからの砲撃で1輌を撃破され、ハーゲシェイマー車も命中弾を受けて損傷している。一旦退却した[[ドイツの戦車エース一覧|ドイツの戦車エース]]の1人でもあったランガンケは、命中弾を受けて自身のパンターが損傷していたため、フレヌ付近の森の中のくぼ地に身を潜めていたが、その後、監視任務からフレヌに無警戒で帰還してきた他の部隊のM4シャーマン4輌を撃破して一矢報いている<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=61}}</ref>。翌12月25日にもノヴィルを巡る戦いにおいても、M4シャーマンがわずか45分間の間に、一方的にパンターG型を6輌撃破して、ドイツ軍の攻撃を撃退している<ref>{{Harvnb|Military Intelligence Service 3-9|1945|p=THE HEAVY MOBILE PUNCH}}</ref>。
 
アメリカ軍の分析と異なり、[[ノルマンディー上陸作戦]]からのフランスでの戦いで、M4とパンターやVI号戦車とティーガーIへ交戦頻度は高く、75㎜砲搭載型はおろか76.2㎜砲搭載型も非力さが明らかになった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=23}}</ref>。アメリカ軍は対策として、急遽、新型の[[高速徹甲弾]]の生産を強化したが、この徹甲弾は、M4戦車隊に十分なは行き届かなかったが、500mで208㎜の垂直鋼板貫通力を示し、76.2㎜砲搭載型M4の強力な武器となった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=22}}</ref>。また、M4は信頼性・生産性など[[工業製品]]としての完成度は高く、大量の補充と高い稼働率によって、高価すぎて且つ複雑な構造のドイツ軍戦車を総合力で圧倒するようになり<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=20}}</ref>、また、アメリカ軍戦車兵も熟練して、M4がパンターを一方的に撃破する戦闘も増えている。[[バルジの戦い]]において、1944年12月24日に、[[フレヌ]]に接近してきたアルフレッドハーゲシェイマー親衛隊大尉とフリッツ・ランガンケ親衛隊少尉が率いる11輌のパンターG型を、第32機甲旅団D中隊のM4シャーマン2輌が迎えうって、遠距離砲撃で6輌撃破し、2輌を損傷させて一旦撃退している。その後、ハーゲシェイマー隊は残った3輌のパンターで再度フレヌを目指し、途中で接触した[[M5軽戦車]]1輌を撃破したものの、またM4シャーマンからの砲撃で1輌を撃破され、ハーゲシェイマー車も命中弾を受けて損傷している。一旦退却した[[ドイツの戦車エース一覧|ドイツの戦車エース]]の1人でもあったランガンケは、命中弾を受けて自身のパンターが損傷していたため、フレヌ付近の森の中のくぼ地に身を潜めていたが、その後、監視任務からフレヌに無警戒で帰還してきた他の部隊のM4シャーマン4輌を撃破して一矢報いている<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=61}}</ref>。翌12月25日にもノヴィルを巡る戦いにおいても、M4シャーマンがわずか45分間の間に、一方的にパンターG型を6輌撃破して、ドイツ軍の攻撃を撃退している<ref>{{Harvnb|Military Intelligence Service 3-9|1945|p=THE HEAVY MOBILE PUNCH}}</ref>。
 
バルジの戦いにおいて、最初の2週間でM4シャーマンはあらゆる原因によって320輌を喪失していたが、1,085輌が前線にあり、うち980輌が稼働状態とその抜群の信頼性を誇示していたのに対して、投入された415輌のパンターは、2週間で180輌が撃破され、残り235輌もまともに稼働していたのは45%の約100輌といった有様だった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=72}}</ref>。結局は、正面からの撃ち合いではパンターに分があったが、生産性、整備性、耐久力などすべてを比較すると、M4シャーマンの方が優れていたという評価もある<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=69}}</ref>。1944年8月から1944年12月のバルジの戦いまでの間の、アメリカ軍の第3機甲師団と第4機甲師団の統計によれば、全98回の戦車戦のなかでパンターとM4シャーマンのみが直接戦った戦闘は29回であったが、その結果は下記の通りであった<ref>{{Harvnb|David C. Hardison|2012|p=19}}</ref>。
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* {{Cite book|和書|author1=アメリカ陸軍省|author2=[[外間正四郎]]|title=沖縄:日米最後の戦闘|publisher=光人社|date=1997|series=光人社NF文庫|date=1997|ref={{SfnRef|アメリカ陸軍省|1997}}}}
*{{Citation|和書|author=加登川幸太郎|title=帝国陸軍機甲部隊 |year=1974|publisher=[[白金書房]]|ref={{SfnRef|加登川幸太郎|1974}}|asin=B000J9FY44}}
*{{Citation|和書|author1=アルゴノート編集部|title=PANZER(パンツァー) 2020年01月号 |year=2019|publisher=[[アルゴノート]]|ref={{SfnRef|PANZER №690|2019}}|series=PANZER|asin=B07ZLJXKBQ}}
* {{Cite book |和書 |author=下田四郎 |year=2014 |title=サイパン戦車戦 |publisher=光人社 |series=光人社NF文庫 |isbn=4769821050 |ref={{SfnRef|下田四郎|2014}}}}
* {{Cite book |和書 |author=ジェームス・H. ハラス |year=2010 |title=沖縄シュガーローフの戦い 米海兵隊地獄の7日間 |publisher=光人社 |series=光人社NF文庫 |isbn=4769826532 |ref={{SfnRef|ハラス|2010}} }}
* {{Cite book |洋書 |author=Steven Zaloga |year=2015 |title=M4 Sherman vs Type 97 Chi-Ha: The Pacific 1945 |publisher=Osprey Publishing |isbn=978-1849086387 |ref={{SfnRef|Steven Zaloga|2015}} }}
* {{Cite book |洋書 |author=David C. Hardison |year=2012 |title=Data on World War II Tank Engagements: Involving the U.S. Third and Fourth Armored Divisions |publisher=Createspace Independent Pub |isbn=978-1470079062|ref={{SfnRef|David C. Hardison|2012}} }}
* {{cite book |洋書|last =Zaloga|first= Steven |year=2015|title=Armored Champion: The Top Tanks of World War II |location=Mechanicsburg, PA |publisher=Stackpole Books|isbn=978-0-8117-1437-2|ref={{SfnRef|Steven Zaloga|2015}} }}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|M4 Sherman|M4 Sherman}}