「合唱交響曲」の版間の差分

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ショスタコーヴィチの[[交響曲第13番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第13番]]『バビ・ヤール』の誕生はいささか複雑であった。彼は[[エフゲニー・エフトゥシェンコ]]が著した詩『バビ・ヤール』を読了後ほとんど間を置かずに曲を書いたが、当初は単一楽章の楽曲にしようと考えていた<ref name="maes366"/>。エフトゥシェンコの詩集『Vzmakh ruki』から他に3編の詩を見出したことに後押しされた彼は完全長の合唱交響曲へと進んでいき、「出世」を終楽章に置くことになった。音楽学者のFrancis Maesがコメントするところでは、ショスタコーヴィチはこれを行うためにソビエトによる他の虐待に関するエフトゥシェンコの韻文により『バビ・ヤール』の主題を補完したという<ref name="maes366"/>。「『商店で』はこの上なく基本的な食糧を購入するのに、何時間も経って列に並ばなければならない女性たちへの賛辞であり(中略)『恐怖』は[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の下での恐怖を呼び起こす。『出世』は官僚に対する非難、そして真の創造性への賛歌である<ref name="maes366">Maes, 366.</ref>。」音楽史家のボリス・シュヴァルツは、ショスタコーヴィチが配置した順序通りに、詩が力強く劇的な開始楽章、[[スケルツォ]]、2つの緩徐楽章とフィナーレを形作っていると付け加えている<ref name="schwarz">Schwarz, ''New Grove (1980)'', 17:270.</ref>。
 
他に、テクストの選定が作曲者を異なる交響曲形式へと導く場合もある。ハヴァーガル・ブライアンは『勝利の歌』(Das Siegeslied)という副題を付けた交響曲第4番を、テクストに用いた[[:s:詩篇(口語訳)#第68篇|詩篇第68篇]]の3部構造によって語らせることにした。13-18行目を用いて作曲されたソプラノ独唱と管弦楽のための音楽が静かな間奏曲となり、大合唱とオーケストラの力を用いて書かれた、規模が大きく非常に半音階的な両端楽章の間に位置している<ref>Truscott, ''The Symphony'', 2:143–144; MacDonald, notes for Naxos 8.570308, 3.</ref>。同じく、シマノフスキは[[交響曲第3番 (シマノフスキ)|交響曲第3番]]『夜の歌』において、13世紀ペルシアの詩人[[ジャラール・ウッディーン・ルーミー]]のテクストを使用しており、ジム・サムソンはこれを「単一の3部構成楽章<ref>Samson, 122.</ref>」、また「全体としてのアーチ構造<ref>Samson, 126.</ref>」と呼んだ。
 
=== 交響曲の形式を拡大する言葉 ===
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同様に、リストがダンテ交響曲の最後にも合唱を加えたことにより、作品の構造と標題的意図が変質を遂げた。リストは作品を『[[神曲]]』の構造に沿わせ、交響曲を3楽章制として各々を「地獄篇」、「煉獄篇」、「天国篇」とするつもりだった。しかし、リストの娘婿にあたる[[リヒャルト・ワーグナー]]に、地上の作曲家には楽園の歓びを忠実に表現することはできないと説得される。これによりリストは第3楽章をやめにして、代わりに第2楽章の結尾部に合唱要素となる「マニフィカト」を付け加えた<ref>Shulstad, 220.</ref>。サールが主張するには、この行動により作品の形式的均衡は効果的に破壊され、聴衆は[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]のように天国の高みに向かって天を見つめ、彼方からのその音楽を聴くことになるという<ref>Searle, "Liszt, Franz", ''New Grove'', 11:45.</ref>。シュルスタッドが論じるには、最後の合唱により楽園へ至るためのもがきから解放されて、本作の物語の軌跡が完成することを助けているという<ref name="bonds24838"/>。
 
反対に、テクストの存在が合唱交響曲の誕生への閃きとなり、標題的な焦点が変化したことで作品が純器楽的な楽曲として完成されることもある。ショスタコーヴィチは元々、[[交響曲第7番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第7番]]を自身の[[交響曲第2番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第2番]]や[[交響曲第3番 (ショスタコーヴィチ)|第3番]]のような単一楽章の合唱交響曲として計画していた。ショスタコーヴィチは[[:s:詩篇(口語訳)#第9篇|詩篇第9篇]]をテクストに用い、罪なき血が流されたことに対する復讐を題材に採るつもりであったと伝えられる<ref name="volktest184">Volkov, ''Testimony'', 184; Arnshtam interview with Sofiya Khentova in Khentova, ''In Shostakovich's World'' (Moscow, 1996), 234, as quoted in Wilson, 171–172.</ref>。これを行うにあたり彼はストラヴィンスキーから影響を受けており、深い感銘を受けた『詩篇交響曲』に匹敵する作品を作ろうとこの作品に取り組んだ<ref name="volkss175">Volkov, ''Shostakovich and Stalin'', 175.</ref>。詩篇第9篇のテーマはスターリンの圧政に対するショスタコーヴィチの義憤を伝えるものではあったが<ref name="vosp427">Volkov, ''St. Petersburg'', 427.</ref>、ドイツ軍の侵攻以前にはそのようなテクストを伴う楽曲の公開演奏を行うことは不可能な状態だった。[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]による侵略は、少なくとも理屈の上でそのような作品の発表を可能にした。「血」への言及を、公の意味としてであればヒトラーに関連付けることが出来たからである<ref name="vosp427"/>。スターリンがソビエトの愛国的、宗教的情緒に訴えかけていたため、権力者は[[ロシア正教会|正教会]]を主題に取ることや想起させることに対する抑圧をもはや行っていなかった<ref>Volkov, ''St. Petersburg'', 427–428.</ref>。にもかかわらず、ショスタコーヴィチは自作がこの象徴性を大きく超えてしまうとやがて悟ることになる<ref name="stsy557">Steinberg, ''The Symphony'', 557.</ref>。そこで彼はこの交響曲を伝統的な4楽章制に拡大し、純器楽作品としたのであった<ref name="stsy557"/>。
 
=== テクストを使用しない表現での代替 ===