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* 複数機で接近し、囮機が迎撃や対空砲火を引き付けている間に他の機が突入を図る。
 
当時の多くのアメリカ海軍艦船に搭載されていた[[CXAM|Skレーダー]]は、性能的に50マイル以上の遠距離の目標を探知することに優れていたが、航空機が艦艇に近づいてくると見失ってしまうことがあった。特に低空飛行してくる航空機が25マイルまで接近すると探知が困難になり、戦闘機の管制を事実上不可能にした。また、航空機がさらに接近すると状況はさらに悪化し、Skレーダーと自動追尾の射撃制御レーダーであるSMレーダーが相互干渉してSMレーダーのシステムが遮断されてしまううえ、他の艦艇のレーダー信号も互いに干渉しあったり、またアメリカ軍航空機との敵味方識別が困難になってしまった。特攻機はこれらのアメリカ軍レーダーの弱点を巧みについて、アメリカ軍艦隊を攻撃した<ref>{{Harvnb|Mark Stille|2016|p=|loc=電子版, 位置No.250}}</ref>。
日本軍のこれらのピケット対策に対し、アメリカ軍はピケット艦自身に護衛機を付けたり、更なる早期警戒能力強化のため、沖縄本島の北部と沖縄周辺の小島に、[[レーダーサイト]]を多数設置するなどして対抗するなど<ref>{{Harvnb|ニミッツ|ポッター|1962|p=443}}</ref>日米両軍の間で激しい駆け引きが行われた。
 
日本軍のこれらのレーダーピケット対策に対し、アメリカ軍はピケット艦自身に護衛機を付けたり、更なる早期警戒能力強化のため、沖縄本島の北部と沖縄周辺の小島に、[[レーダーサイト]]を多数設置するなどして対抗するなど<ref>{{Harvnb|ニミッツ|ポッター|1962|p=443}}</ref>日米両軍の間で激しい駆け引きが行われた。
[[ファイル:Grumman TBM-3W Avenger of VX-1 in flight c1948.jpg|thumb|right|260px|特攻対策の一環として開発された早期警戒機TBM-3W]]
沖縄戦でレーダーピケット艦として、アメリカ軍駆逐艦隊は特攻の矢面に立たされたため、特攻機の目標となることが多かった。アメリカ海軍は駆逐艦と上陸用舟艇などの小型艦艇に共同行動を取らせ、対空戦闘が開始されると、駆逐艦が沈められた時に生存者の救出を図るため、駆逐艦の周りを小型艇でびっしりと囲ませていた。そのためアメリカ海軍兵士はそのような小型艦艇のことを『棺桶の担い手』と呼んでいたが、実際にレーダーピケット艦の駆逐艦はつぎつぎと特攻で粉砕されていった<ref>{{SfnRef|アレン|ボーマー|1995|p=137}}</ref>。