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=== 太平洋戦線 ===
[[ファイル:M4TanksM4 destroyedtank byknock landdown minesin guam.jpg|thumb|250px280px|沖縄グアムので日本軍の地雷により速射砲で撃破されたとされるM4A3と、M32戦車回収車]]
[[北アフリカ]]および[[ヨーロッパ]]に加えて[[太平洋戦争]]にも投入された。戦車戦力が弱い日本軍にとってM4は非常な難敵で、[[サイパンの戦い]]、[[グアムの戦い]]、[[ペリリューの戦い]]などでM4と日本軍の[[九七式中戦車]]や[[九五式軽戦車]]との戦車戦が戦われたが、日本軍戦車の[[九七式五糎七戦車砲]]や[[九八式三十七粍戦車砲]]はM4に命中してもまるでボールのように跳ね返されたということで、日本軍の戦車が一方的に撃破されることが多かった<ref>{{Harvnb|下田四郎|2014|p=224}}</ref>。日本軍の戦車兵はそのようなM4を「動く要塞」と称して恐れた<ref>{{Harvnb|加登川幸太郎|1974|p=224}}</ref>。それでも、[[戦車第2師団 (日本軍)|戦車第2師団]]が戦った[[ルソン島の戦い]]においては、重見支隊(支隊長:[[重見伊三雄]]少将。戦車第3旅団基幹の戦車約60両他)が[[リンガエン湾]]に上陸してきたアメリカ軍を迎撃し、太平洋戦争最大の戦車戦が戦われた。九七式中戦車改に搭載された[[一式四十七粍戦車砲]]は、500ヤード(約457.2m)で67㎜の装甲、1,000ヤード(約914.4m)で55㎜の装甲を貫通したので、M4の側面や後面の装甲であれば、かなりの遠距離からでも貫通可能であり、戦車戦で撃破されるM4も少なくはなく<ref>{{Harvnb|Steven Zaloga|2015|loc=電子版, 位置No.356}}</ref>、アメリカ軍は九七式中戦車新砲塔型を「もっとも効果的な日本軍戦車」と評して警戒した<ref>{{Harvnb|Military Intelligence Service 3-11|1945|p=THE MOST EFFECTIVE JAP TANK}}</ref>。戦車戦での不利を痛感した日本軍は、その後の[[硫黄島の戦い]]や[[沖縄戦]]では、戦車の車体を地面に埋めて、即席の対戦車トーチカとして使用するようになった<ref>{{Harvnb|Steven Zaloga|2015|loc=電子版, 位置No.1250}}</ref>。