「グアムの戦い (1944年)」の版間の差分

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同日には、海岸線で第1大隊を壊滅させたアメリカ軍は、オロテ半島とアプラ方面を守備していた第2大隊にも迫り、第2大隊は一部で速射砲や山砲によりアメリカ軍を撃退したが、損害甚大で夕刻までには主要な火器はほとんど破壊され、死傷率は80%にも達した。<ref>『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈1〉』568頁</ref>
[[File:JapaneseWounded tankPfc. knockedRobison outin ofstretcher on Guam after receiving blood plasma. - actionNARA - Tinian520950.jpgtif|left|thumb|250px200px|撃破負傷して輸血された95式軽戦車るアメリカ軍海兵隊員]]
大損害を被った[[第29師団 (日本軍)|第29師団]]第38連隊の連隊長末長大佐は、もはや防衛戦による上陸阻止は困難であると判断し、残存戦力による夜襲を決心した。夜襲は第38連隊の残存兵力を結集して行なう事としたが、(ただし第2大隊は連絡網が遮断され、連絡が取れなかった為不参加)但しこの夜襲は末長連隊長の独断作戦であり、直属の第29師団を初め上層部には何の相談もなされていなかった。<ref>『グアム 戦跡完全ガイド』小西誠(著)社会批判社 93頁</ref>連隊長は総攻撃決定後に第29師団司令部に連絡したが、高品師団長からは、残存戦力を速やかに結集の上で背後の天上山縦深陣地に撤退し持久戦行い、師団主力の支援を行うようにと攻撃を中止するように指示があったが、末長連隊長は「既に戦術も戦力もない。これ以上生きるのも無駄であろう、自分の希望を貫徹させてくれ」と師団長に懇願し翻意しなかった。
 
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小畑中将は北部撤退当初には約3,000名の兵士を掌握していた。
日本軍残存部隊は、ジャングル内を追撃してくるアメリカ軍相手によく遅滞戦術を行った。8月2日にはパリガタ(日本名 春田)地区で戦車十数両、歩兵200名のアメリカ軍を、歩兵第38連隊の第3歩兵砲中隊が迎撃し、戦車2両を撃破し歩兵100名を死傷させたが、馬場中隊長は戦死し、残った部隊はアメリカ戦車に肉弾攻撃を行った。翌3日には平塚方面に攻撃してきたアメリカ軍に残存砲兵で集中砲撃を加え、数両を撃破し、十数両を擱座させたが、アメリカ軍の反撃で砲兵は全滅している。<ref>『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈1〉』593頁</ref>
[[File:Burning tanks in Yigo during the Battle of Guam 1944 (49481773263).jpg|left|thumb|280px|北部イゴ村付近で日本軍に撃破されたM4中戦車]]
8月7日には、アメリカ軍はグアム北部の要地イゴ村に進攻してきた。日本軍は残った2輌の95式軽戦車と速射砲と[[九八式二十粍高射機関砲]]などの兵器を集中して守りを固めており、アメリカ軍は2輌のM4戦車を撃破され、多数の死傷者を出したがイゴ村に突入した。その後も日本軍は3輌の95式軽戦車と歩兵がイゴ村に反撃してきて激戦となった。アメリカ軍は新兵器の[[バズーカ]]と火炎放射器で戦車を攻撃しようとしたが、バズーカの威力を知っていた日本軍歩兵の激しい射撃で、アメリカ軍歩兵はバズーカを撃つこともままならなかった。そこで勇敢なアメリカ軍歩兵が、軽機関銃を日本軍戦車の開口部に突っ込んで撃ちまくり、戦車兵全員を射殺して1輌の戦車を無力化した。またもう1輌も手榴弾で撃破すると、残る1輌と日本軍歩兵は撤退し、イゴ村はアメリカ軍に確保された。この日本軍の夜襲では日本兵は18名の遺体を残したが、アメリカ軍も18名の死傷者を被っており、損害は互角であった<ref>[https://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/USA-P-Marianas/USA-P-Marianas-20.html ''United States Army in World War II
The War in the Pacific
Campaign In the Marianas'']</ref>。
 
以上の様に日本軍は善戦はしていたが、死傷者も増加していった。また飢えや病気などで斃れる兵士も増えていた。アメリカ軍は次第に日本軍の防衛線を突破すると8月10日には第31軍司令部のある又木山に達したが、その際には小畑中将が掌握している戦力はわずか300名となっていた。これ以上の撤退は無理と察した小畑軍司令官は11日に最後の総攻撃を命令した。残存していた戦車10両は果敢にアメリカ軍戦車に戦車戦を挑むも、戦車の性能の差は大きく全両撃破された。<ref>『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈1〉』599頁</ref>もはや殆ど武器も持たない日本軍歩兵は銃剣突撃したが全滅し、小畑軍司令官と田村参謀長も自決、日本軍の組織的な抵抗は完全に終わった。<ref>『グアム 戦跡完全ガイド』小西誠(著)社会批判社 101頁</ref>