「大谷駅 (滋賀県)」の版間の差分

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* [[2002年]](平成14年)[[3月1日]] - 京津線に「スルッとKANSAI」システムの導入のため自動改札機・精算機を設置、使用開始。
* [[2007年]](平成19年)[[4月1日]] - [[ICカード]]「[[PiTaPa]]」の利用が可能となる。
 
=== 官設日本国有鉄道 大谷駅 ==
{{駅情報
|社色 = #ccc
|文字色 = #000
|駅名 = 大谷駅
|画像 =
|pxl = 300px
|画像説明 =
|よみがな = おおたに
|ローマ字 = ŌTANI
|前の駅 = [[膳所駅|大津]]
|駅間A = 3.1
|駅間B = 8.5
|次の駅 = [[山科駅|山科]]
|所属事業者 = [[日本国有鉄道]]
|所属路線 = [[東海道本線]](旧線)
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線
|キロ程 = 505.0km([[東京駅|東京]]起点)<br>[[膳所駅|大津]]から3.1
|廃止年月日 = [[1921年]]([[大正]]10年)[[8月1日]]
|備考 = 線路切替により廃止
}}
'''大谷駅'''(おおたにえき)は、[[逢坂山トンネル#東山トンネル・新逢坂山トンネル|新逢坂山トンネル]]開業前の[[東海道本線]](一部は現在の[[奈良線]]になっている)に存在した駅。
 
[[京都駅|京都]] - [[大津駅|大津]](この大津駅は現在の[[京阪電気鉄道]][[京阪京津線|京津線]][[びわ湖浜大津駅]]に近接した位置にあった)間の鉄道全通に先駆け、京都 - 大谷間が開業した際に設けられた駅である。この際のルート選定では、当時[[東山 (京都府)|東山]]や[[逢坂山]]を横断するトンネルの開削技術がまだなく、また東山を直接越えると急勾配が発生してしまう(後にこのルートで開業した京阪京津線には、[[碓氷峠]]とほぼ同じ66.7[[パーミル]]の勾配が生まれた)ことから、京都から現在の[[奈良線]]のルートで[[稲荷駅]]まで南下した後、東へ[[伏見稲荷大社#稲荷山|稲荷山]]の山すそを迂回するものが採用された。
 
駅は[[逢坂山トンネル#逢坂山隧道|逢坂山トンネル]]のすぐ西側、[[蝉丸神社]]の近くに設けられ、相対式ホーム2面2線となっており、中線が1本存在した。上下線間の連絡は、[[跨線橋]]によって行っていた。
 
明治はじめ、京都 - 大津(後のびわ湖浜大津)間鉄道開業前年の[[1879年]](明治12年)8月の京都 - 大谷間開業時に開設、[[1921年]](大正10年)8月に廃止された。駅跡は逢坂山トンネル坑口と共にしばらく残っていて、京阪京津線の電車内から見ることができたが、現在は[[名神高速道路]]の盛り土に埋まっている。なお太平洋戦争中は旧トンネル内で航空機部品工場として使用された逸話がある。現在残った東側の入り口もフタをされ、中は[[京都大学]]が[[地震計]]を設置して観測している。
 
== 駅構造 ==
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* [[東海道]]
* 大谷乗馬場
 
== 官設鉄道大谷駅 ==
'''大谷駅'''(おおたにえき)は、[[逢坂山トンネル#東山トンネル・新逢坂山トンネル|新逢坂山トンネル]]開業前の[[東海道本線]](一部は現在の[[奈良線]]になっている)に存在した駅。
 
[[京都駅|京都]] - [[大津駅|大津]](この大津駅は現在の[[京阪電気鉄道]][[京阪京津線|京津線]][[びわ湖浜大津駅]]に近接した位置にあった)間の鉄道全通に先駆け、京都 - 大谷間が開業した際に設けられた駅である。この際のルート選定では、当時[[東山 (京都府)|東山]]や[[逢坂山]]を横断するトンネルの開削技術がまだなく、また東山を直接越えると急勾配が発生してしまう(後にこのルートで開業した京阪京津線には、[[碓氷峠]]とほぼ同じ66.7[[パーミル]]の勾配が生まれた)ことから、京都から現在の[[奈良線]]のルートで[[稲荷駅]]まで南下した後、東へ[[伏見稲荷大社#稲荷山|稲荷山]]の山すそを迂回するものが採用された。
 
駅は[[逢坂山トンネル#逢坂山隧道|逢坂山トンネル]]のすぐ西側、[[蝉丸神社]]の近くに設けられ、相対式ホーム2面2線となっており、中線が1本存在した。上下線間の連絡は、[[跨線橋]]によって行っていた。
 
明治はじめ、京都 - 大津(後のびわ湖浜大津)間鉄道開業前年の[[1879年]](明治12年)8月の京都 - 大谷間開業時に開設、[[1921年]](大正10年)8月に廃止された。駅跡は逢坂山トンネル坑口と共にしばらく残っていて、京阪京津線の電車内から見ることができたが、現在は[[名神高速道路]]の盛り土に埋まっている。なお太平洋戦争中は旧トンネル内で航空機部品工場として使用された逸話がある。現在残った東側の入り口もフタをされ、中は[[京都大学]]が[[地震計]]を設置して観測している。
 
== 隣の駅 ==
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=== かつて存在した路線 ===
; [[鉄道省]](官設鉄道)
: 東海道本線(旧線)<!-- 起点(東京側)を左側にして記載 --->
:: [[膳所駅|馬場駅(現・膳所駅)]] - '''大谷駅''' - [[山科駅]]
: 当時の山科駅は現在の東海道本線・[[湖西線]]の駅とは位置が異なり、現在の名神高速道路沿いの京都市営地下鉄東西線[[小野駅 (京都府)|小野駅]]付近であった。
 
== 脚注 ==
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{{京阪京津線}}
{{琵琶湖線}}<!-- 東海道旧線 --->
 
{{デフォルトソート:おおたに}}