「臣狭山命」の版間の差分

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異表記として『[[常陸国風土記]]』に'''中臣巨狭山命'''(なかとみのおおさやまのみこと)、『[[続日本紀]]』には'''意美佐夜麻'''がある<ref>「桓武天皇 天応元年七月十六日条」『続日本紀』巻三十六。</ref>。
 
『常陸国風土記』[[鹿島郡 (茨城県)|香嶋郡]]条に[[鹿島神宮]]の御船祭の起源として登場する。同条によると、[[日本武尊|倭武天皇]]の御代に、[[武甕槌命|天之大神]]が臣狭山命に御舟を(もって天皇に)仕えるよう託宣し、臣狭山命はこれに従ったとされる。大神は夜が明けると「舟は海に置いた」と言い、臣狭山命がこれを探すと、舟は岡の上にあった。大神は「舟は岡の上に置いた」と言い、これを探すと今度は海に舟があった。このやり取りを繰り返す内に、臣狭山命はとうとう恐れ畏んで新たに長さ二丈余の舟三隻造らせて献上したとされる。
 
『続日本紀』では[[天御中主命]]の二十世・[[中臣烏賊津|伊賀津臣]]の父として登場する。