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ポントスはポンペイウスの勢力下に置かれることとなったが、ポンペイウスが[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]派との[[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|内戦]]状態に突入したことにより、ファルナケス2世は周辺地区への侵略を開始したが、ポンペイウスを破り、エジプトを押えたカエサル率いるローマ軍にファルナケスは[[ゼラの戦い]](紀元前47年8月)で敗北した。ゼラの戦いでの敗戦後もポントス王国は暫く存続したが、[[ネロ]]帝在位中の[[64年]]にポントスはローマの'''ポントゥス属州'''(provincia Pontus)へと移行した。ネロはポントスを「ポントゥス・ガラティクス」(Pontus Galaticus)、「ポントゥス・ポレモニアクス」(Pontus Polemoniacus)、「ポントゥス・カッパドキウス」(Pontus Cappadocius)に3分割した。
 
3世紀半ばには[[パルミラ国]]の攻撃によりカッパドキアと共にその傘下に組み込まれたが、272年までに[[ローマ帝国]]へと復帰した。295年頃、[[ディオクレティアヌス]]帝は[[アルメニア]]の一部も含めてポントス(ポントゥス)を4つの属州に再編した。
 
=== 東ローマ以降 ===