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== 経歴 ==
{{出典の明記| date = 2020年5月| section = 1}}
[[ジョージア州]][[アトランタ]]で、[[ジャズ]]・ミュージシャンである父ウィリアム・ジェームス・エドワーズ・リー三世、通称[[ビル・リー (ミュージシャン)|ビル・リー]]と[[教師]]であると同時に作家でもある母ジャクリーン・シェルトンの間に生まれた。幼い頃に家族で[[ニューヨーク]]の[[ブルックリン区|ブルックリン]]に転居している。ブルックリンのフォート・グリーン地区は、彼が設立した映画製作会社である40エーカー・アンド・ア・ミュール・フィルムワークスが運営されている場所で、他にリー自身が所有するビジネス、リーに関連するビジネスの多くも同地区を本拠地にしている。リーは幼少期に母親に「スパイク」というあだ名をつけられた。ブルックリンのジョン・デウェイ高校に通った後、最初の作品『ラスト・ハッスル・イン・ブルックリン』を製作した頃には、アトランタの[[モアハウス大学]]で学んでいた。彼は[[クラーク・アトランタ大学]]でも映画のコースを取り、モアハウス・カレッジで[[マスメディア|マスコミ]][[学士]]の[[学位]]を取得した。その後[[ニューヨーク]]に戻り、[[ニューヨーク大学]]の[[ティッチ・スクール・オブ・アート]]に入学し、[[1982年]]に[[ファインアート|ファインアーツ]]の[[修士]]を得て
彼が大学院
『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』の成功が、スパイク・リーの[[コマーシャルメッセージ|CM]][[監督]]としての新たな[[経歴|キャリア]]につながっていく。『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』を見たスポーツシューズ・メーカー[[ナイキ]]のマーケティング部門が、ナイキのCM撮影を彼に依頼したのである。ナイキは、『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』に登場する[[マイケル・ジョーダン]]狂のキャラクター、マーズ・ブラックモン(リー本人が演じた)を[[エア・ジョーダン]]のCMでジョーダン本人と共演させようと考えたのだった。
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