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== 概要 ==
マクラーレンF1は、マクラーレンの[[創業者|創始者]]である[[ブルース・マクラーレン]]の果たせなかった、「マクラーレンの名を冠した[[公道|ロード]]ゴーイングカー」を具現化することによって、そのマクラーレンの力を証明するために開発した車である。設計は[[ブラバム]]やマクラーレンの[[フォーミュラ1|F1]]マシンの設計者である、[[カーデザイナー|自動車デザイナー]][[ゴードン・マレー]]の手によるもので、マレーの嗜好や[[思想]]を充分に反映させた[[インダストリアルデザイン|デザイン]]となっている。[[エクステリアデザイン]]はピーター・スティーヴンスである。新車価格は当時日本円にして約1億円であったが、それでも売れば売るだけ赤字になるというほどコストが惜しみなく注ぎ込まれた車である。
 
F1登場以前の[[スーパーカー]]には[[フェラーリ・F40|フェラーリF40]]、[[ポルシェ・959|ポルシェ959]]などがあったが、F40は[[ランチア・LC2|ランチアLC2]]、959は[[ポルシェ・962|ポルシェ962C]]の双方共に[[グループC]][[レーシングカー]]から転用された[[ターボチャージャー|ターボ]]過給された準レーシングカーエンジンであり、居住性よりも性能を優先させた「公道を走れる準レーシングカー」と言っても過言ではないものであった。
そこへホンダが[[ホンダ・NSX|NSX]]を市販し、エンジンが小さく自然吸気のために絶対的なパワーでは全く敵わないものの当時のスーパーカーと呼ばれた他の車種の極端に低いルーフや視認性を妨げる高いダッシュボード、足回りのためにオフセットしたペダル等とは違い、その居住性を重視した設計は従来のスーパースポーツとは一線を画していた。マレーは開発に際し[[フェラーリF40]][[ポルシェ959]]、[[ブガッティ・EB110|ブガッティEB110]]など多種のスポーツカーを乗り比べ、そのいずれも酷評、その中で求める絶対性能は違いこそすれNSXを[[ベンチマーク]]とし、F1の開発中もNSXを所有し、日常での扱いやすさや居住性等をスポーツカーとしての指標としていた<ref>ゴードン・マレーは「今も心に甘く切なく響くマシン」「チャンスがあればまた手に入れたいと思っている」と、かなりNSXを気に入っていたようである。</ref>。さらにマレーは「20世紀最後の工業製品として、10年、20年後にも見劣りすることのない究極の自動車」をテーマに掲げ、これを具現化させた。マクラーレン・F1はスーパースポーツの常識を塗り替え、スーパースポーツの基準を大きく引き上げた。
 
[[Mr.ビーン]]で知られるイギリスの俳優の[[ローワン・アトキンソン]]が所有していたが、[[炭素繊維強化プラスチック|カーボン]][[モノコック]]ボディのため追突事故の修理に新車のF1に匹敵する金額が必要となった。なお修復後も乗り続けたが、2011年8月4日に自損事故で大破させている。その後も大掛かりな修理を経て所有していたが、後にオークションによって売却している。[[フォーミュラ1]]ドライバーの[[アイルトン・セナ]]も発売が決まると同時に第1号車の予約をしたが、[[1994年サンマリノグランプリ|1994年サンマリノGP]]で他界してしまったため、彼がその第1号車に乗ることはなかった。また、F1好きでも知られた元[[ザ・ビートルズ|ビートルズ]]のメンバーである[[ジョージ・ハリスン]]も生前所有していた。ハリスンの没後は親交があった元F1ドライバーの[[デイモン・ヒル]]が譲り受け、現在も大切に保管されている。ハリスンからのオーダーによって、エンジン[[カウル]]の内側とキャビン内に純金製の[[ガネーシャ]]の小さなレリーフが取り付けられていた。
 
日本においては、[[1990年代]]に[[タグ・ホイヤー]]の販売イベントで各地の時計店を巡回した。地方在住の者にはこのイベントで初めて実車を目にした者も多い。また、[[ミカ・ハッキネン]]が出演した[[昭和シェル石油]]のCMにも登場した他、[[KENWOOD]]の広告にも設計者であるゴードン・マレーと共に登場している(KENWOODのオーディオシステムが標準装備されているため)。