「鳴瀬川橋梁」の版間の差分

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|位置情報 = {{ウィキ座標度分秒|38|23|22.5|N|141|9|53.3|E|type:landmark_region:JP-04|display=inline,title}}
| 地図名 = Japan Miyagi
|長さ = 489 [[メートル|m]]
|最大支間長 = 85 m
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|高さ =
|建築家と技術者 =
|形式 = [[フィンバックガーダー形式橋]]
|素材 = [[プレストレスト・コンクリート]]
|建設 =
}}
'''鳴瀬川橋梁'''(なるせがわきょうりょう)は、[[宮城県]][[東松島市]]野蒜字下山ノ坊と牛網字下西を結ぶ[[鉄道橋]]。[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[仙石線]]の[[野蒜駅]]と[[陸前小野駅]]の間にあり、[[一級河川]] [[吉田川 (宮城県)|吉田川]]と[[鳴瀬川]]を跨ぐ<ref name="JSCE">{{PDFlink|[http://committees.jsce.or.jp/report/system/files/Chapter9-1_0.pdf 第9章 橋梁の被害調査 - 委員会サイト - 土木学会]}}34・35ページ目</ref>単線電化の橋梁である。[[2000年]](平成12年)6月完成<ref>{{Cite news |title=新鉄道橋が使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2000-06-27 |page=3 }}</ref>。[[プレストレスト・コンクリート]]構造下路桁の[[フィンバック形式橋]]という珍しい構造をしている。
 
[[1999年]](平成11年度)[[土木学会田中賞]]・[[日本コンクリート工学協会]]作品賞、[[2001年]](平成13年度)[[土木学会]]デザイン賞優秀賞を受賞している。
 
== 沿革 ==
仙石線は、[[1944年]](昭和19年)戦争遂行のための[[戦時買収私鉄]]指定により買収された[[宮城電気鉄道]]が敷設した路線である。現地は西側に吉田川、東側に鳴瀬川が平行して流れ、その川幅は合わせて約430m430&nbsp;m([[メートル]])あった。宮城電鉄は[[1928年]](昭和3年)、ここに3径間の吉田川橋梁、22径間の鳴瀬川橋梁を建設した。どちらも[[デックガーダー]]形式といい、鉄桁の上を列車が通る、いわゆる[[鉄道橋#無道床と有道床|鉄橋]]である。
 
時は流れ、[[建設省]](現[[国土交通省]])による[[河川改修事業]]により、吉田川及び鳴瀬川の[[堤防]]等は着実に整備されたが、この橋梁周辺は未着手の状態が続いた。そのため、河川幅の狭隘部となっており、洪水の危険性が高まる地点となっていた。そこで河川改修事業の一環として吉田川・鳴瀬川橋梁の架け替えが決定し、約200m200&nbsp;m下流に新橋梁を建設してルートを変更することになった。
 
また、橋梁付近は強風が吹きやすい地点であり、デックガーダー形式は吹きさらしの構造のため、鉄道の運休・遅延もたびたび発生した。そのため、新橋梁には、強風対策が求められた。
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== 諸元 ==
* 種類:[[プレストレスト・コンクリート橋|PC]]鉄道橋<ref name="JSCE"/>
* 型式:6径間連続下路桁[[フィンバック]]形式<ref name="JSCE"/>
 
== フィンバックについて ==
[[フィンバック]]とは[[背びれ]]のことである。橋桁中央部では低く[[橋脚]]の上でとんがった形をしていることからこの名がついている<ref name="JSCE"/>。その内部には[[PCケーブル]]が集中的に埋め込まれて橋桁を支持している。
 
この形式の特徴は以下の通り。
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* 橋桁に働く[[曲げモーメント]]と[[せん断力]]に対して合理的に抵抗できるため、桁の高さを抑えることができること。
 
鳴瀬川橋梁ではこの方式を世界で初めて採用した<ref name="JSCE"/>。なお、国内でこの形式を採用しているのは本橋のほか、北海道森町の歩道橋[[望景橋]]、[[仙台市地下鉄東西線]][[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]橋梁]]および[[北陸新幹線]][[姫川]]橋梁 (北陸新幹線)|姫川橋梁]]などである。
 
なお、フィンバックが橋梁断面の両側についているため、その部分は防風用の柵の代用となる。鳴瀬川橋梁は、フィンバックが低い箇所にも別途防風柵を取り付け、強風による鉄道の乱れを大幅に減少させた。