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'''柳寛順'''(ユ・グァンスン、リュ・グァンスン、[[1902年]][[12月16日]](旧暦11月17日) - [[1920年]][[9月28日]])は[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]の[[独立運動家]]。日本の統治に反対す
== 人物 ==
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[[1919年]]、[[三・一独立運動]]が勃発すると[[朝鮮総督府]]から各学校に対して休校命令が下された。故郷の天安に帰り、教会関係者などを通じて万歳デモを計画した。4月1日、柳寛順は並川市場に集まった群集に独立運動のアジ演説を行い、デモ行進に移った。しかし、日本の憲兵警察は群集に発砲し、柳寛順の父母も死亡した<ref group="注釈">裁判所の公式記録である判決文(大正8年6月30日言い渡し)、柳寛順の囚人識別票の資料によれば、[[内乱罪]]の適用などは無く、懲役2年6箇月とされている。罪状も上の事実のうち主たる先導者であること、演説を行ったこと等は資料上からは確認できない。</ref>。
一審で暴力デモを主導した罪で懲役3年が宣告された。なお、控訴審裁判で裁判長と言い争いになり、裁判所の椅子を裁判長に投げつけたために[[法廷侮辱罪]]で7年の刑期になった
== 評価 ==
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