「ジャック・カーディフ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
60行目:
カーディフのターニング・ポイントとなったのは、マイケル・パウエル&[[エメリック・プレスバーガー]]の『老兵は死なず([[:en:The Life and Death of Colonel Blimp|The Life and Death of Colonel Blimp]])』(1943年)の第2班撮影監督をやったことである。パウエルたちはカーディフに感心し、戦後のテクニカラー映画の傑作『天国への階段』(1946年)の撮影監督にカーディフを起用した。パウエルたちとの関係は『[[黒水仙 (1947年の映画)|黒水仙]]』(1947年)、『[[赤い靴 (映画)|赤い靴]]』(1948年)と続き、『黒水仙』でカーディフは[[アカデミー賞]]と[[ゴールデングローブ賞]]を受賞した。以降は大作映画の仕事が増えた。
 
1950年代後期から、カーディフは映画監督の仕事も始め、『Intent to Kill』(1958年)と『Web of Evidence』(1959年)がそこそこの成功を収めた。1960年代には[[D.H.ローレンス]]の小説を[[トレヴァー・ハワード]]、[[ウェンディ・ヒラー]]、[[ディーン・ストックウェル]]の出演で映画化した『息子と恋人』がヒットした。この映画はアカデミー賞7部門にノミネートされ、[[フレディ・フランシス]]が白黒撮影賞を受賞した。カーディフはゴールデングローブ賞監督賞を受賞した。しかし『息子と恋人』が監督としての絶頂で、以降は奇妙な寄せ集めの映画を作り続けた。中ではB級SFホラー『悪魔の植物人間』が今日でも比較的親しまれており、娯楽映画としては穴だらけながら、色彩美や心情描写に往年の名匠らしさを垣間見せた異色作となっている。
 
1970年代・1980年代には撮影監督にも復帰した。1990年代には日本の東芝EMIの委嘱でクラシック音楽のイメージビデオを制作。長期ロケを構えて[[ディーリアス]]作品集と[[ヴィヴァルディ]]『四季』の2本を完成させた。風景や建物だけでなく、俳優を用いて僅かにストーリー的な要素も加味している。これらは、『あの胸にもういちど』 などとともに稀少な監督兼撮影作品である。