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=== 外遊 ===
[[東洋汽船]]会社の香港丸で横浜を出帆し、[[メキシコ]]の日本公使館に在ること1年。この頃、[[肺結核]]を患う。父の後妻が[[ベルギー人]]で、家庭の通用語が[[フランス語]]だったためフランス語の習得に没頭し、パルナシアン([[高踏派]])の詩を読み始める。この時、[[メキシコ革命]]に遭遇。[[フランシスコ・マデロ|マデロ]]大統領失脚、謀殺までの『悲劇の二週間』を体験する。[[1913年]]([[大正]]2年)に[[シベリア]]経由でベルギーに向かい、[[アルチュール・ランボー|ランボー]]をピストルで撃った[[ポール・ヴェルレーヌ|ヴェルレーヌ]]の事件を担当した裁判官シャルル・リグール家に住み、10月には当時の日銀総裁・[[水町袈裟六]]の斡旋で[[ベルギー国立銀行]]に[[日本銀行]]の委託研究生として勤務し、異例の待遇を受けた。
 
詩的には[[ポール・ヴェルレーヌ]]、[[象徴主義|サンボリスム]]詩への傾倒が始まり、詞華集『今日の詩人』で[[レミ・ド・グールモン]]([[:en:Remy de Gourmont|Remy de Gourmont]])の詩を読み、「一生を通じての精神上の最大の事件」<ref>平田([[1967年]])P133</ref>といえる決定的な影響を受ける。以後も父の任地に従い、[[ベルギー]]、[[スペイン]]、[[スイス]]、[[パリ]]、[[ブラジル]]、[[ルーマニア]]と、青春期を日本と海外の間を往復して過ごす。スペイン滞在時は[[マドリード]]日本公使館で、[[マリー・ローランサン]]と交歓し[[ギヨーム・アポリネール]]を教えられる。[[スイス]]で療養した[[サナトリウム]]は、[[トーマス・マン]]『[[魔の山]]』の舞台になったところである。
 
[[1917年]](大正6年)に[[高等文官試験|外交官及領事官試験]]のために帰国し、[[日夏耿之介]]、[[柳沢健]]、[[長谷川潔]]を知る。第一次論文選考、第二次筆記試験には合格したが口述試験で病弱のため採用されず、外交官への道を断念する。翌年に[[浅野財閥|浅野合名会社]]嘱託通弁となり、永井荷風が序文を担当して最初の著書『昨日の花』を自費出版。[[リオデジャネイロ]]から『三田文学』『[[炬火]]』に寄稿。[[1919年]](大正8年)、処女詩集『[[月光とピエロ]]』(永井荷風序文)、処女歌集『パンの笛』(与謝野鉄幹、[[与謝野晶子]]序文)を刊行。以後、[[ブラジル]]の[[バイーア州]]、[[ペルナンブーコ州]]、リオ、[[サンパウロ]]、[[サントス]]や[[アルゼンチン]]、[[ウルグアイ]]に滞在、ウルグアイでは[[ジュール・シュペルヴィエル]]を知る。
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[[1947年]](昭和22年)に詩集五冊を上梓したのを皮切りに、著作活動を再開し、翌年に[[東郷豊治]]と[[西蒲原郡]]の旧家を訪ね、[[良寛]]の遺墨を観る。[[1950年]](昭和25年)に、疎開から引き揚げて以降は、神奈川県[[湘南]]の[[葉山町]]に終生在住した。[[白水社]]の[[草野貞之]]の知遇により、[[シャルル・ボードレール]]の『[[悪の華]]』を全訳。
 
[[1957年]](昭和32年)に[[日本芸術院]]会員。9月に[[国際ペン大会]]会長として来日した[[:en:Andre Chamson{{仮リンク|アンドレ・シャンソン|fr|AndreAndré Chamson]]}}と会談。1959年『夕の虹』にて第10回[[読売文学賞]]を受賞。[[日本現代詩人会]]の「詩祭」で顕彰され、[[上司海雲]]と東郷豊治の案内で、[[秋篠寺]]、[[唐招提寺]]、[[薬師寺]]などを参観。ほか日本全国を旅し、[[室生犀星詩集賞]]や読売文学賞選考委員となる。
 
[[1967年]](昭和42年)、[[宮中歌会始]]で召人、(お題は「魚」)「深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり」と詠んだ<ref>[http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s42.html 昭和42年歌会始お題「魚」] - 宮内庁</ref>。生物学者である[[昭和天皇]]はたいそう喜んだというが、また一部には、天皇本人を目の前にしての批判(諌言)であると解する向きもある。4月に[[勲三等]][[瑞宝章]]を受章。
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*アポリネエル詩抄 第一書房 1928、のち「[[アポリネール]]詩集」新潮文庫
*グウルモン詩抄 第一書房 1928、のち「グウルモン詩集」新潮文庫
*死市 [[ガブリエーレ・ダンヌンツィオ|ダヌンチオ]] 近代劇全集第35巻 第一書房 1928
*三人女 ポオル・モオラン 第一書房 1928
*夜ひらく・夜とざす ポオル・モオラン 旧新潮文庫 1929
*詩人のなぷきん 仏蘭西短篇集 第一書房 1929、新版・ちくま文庫 1992
*オルフェ 戯曲 ジヤン・コクトオ 第一書房 1929
*ジャン・コクトオ詩抄 第一書房 1929
*青白赤 訳詩集 第一書房 1930
*キユピドの箙 抒情訳詩集 太白社 1930
*文学 ポオル・ヴァレリイ詩論 第一書房 1930、のち角川文庫
*ジヤツク・マリタンへの手紙 ジアン・コクトオ 第一書房 1931
*詩法 [[マックス・ジャコブ|マツクス・ジャコブ]] 第一書房 1931
*パリュウド [[アンドレ・ジイド]] 第一書房 1931
*ドルヂェル伯の舞踏会 [[レイモン・ラディゲ|ラデイゲ]] 白水社 1931 のち角川文庫、新版・講談社文芸文庫
*阿片 ジァン・コクトオ 第一書房 1932 のち角川文庫、[[東京創元社]]版全集
*仇ごころ [[ヴァレリー・ラルボー|ヴァルリィ・ラルボオ]] [[青柳瑞穂]]共訳 第一書房 1932
*白紙 ジヤン・コクトオ 第一書房 1932
*[[昼顔 (1967年の映画)|昼顔]] [[ジョゼフ・ケッセル]] 第一書房 1932(発禁)のち新潮文庫
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*ポオルフオル詩抄 第一書房 1934
*酔ひどれ船 アルチュウル・ラムボオ 日本限定版倶楽部 1934
*[[夜間飛行]] [[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ|アントワアヌ・ド・サン テクジュペリ]] 第一書房 1934 のち三笠書房・新潮文庫
*アンドレ・ワルテルの詩 ジイド 第一書房 1934
*贋金つくりの日記 ジイド全集 第8巻 金星堂 1934
183行目:
*新しき糧 アンドレ・ジイド 第一書房 1936 のち新潮文庫
*僕の初旅世界一周 ジヤン・コクトオ 第一書房 1937
*嶮しき快癒 [[ジャン・ポーラン|ジヤン・ポオラン]] 伸展社 1937
*馬来乙女の歌へる {{仮リンク|イヴァン・ゴル|fr|Yvan Goll}} 版画荘 1937
*孤児マリイ [[マルグリット・オードゥー|マルグリット・オオドゥウ]] 第一書房 1937 のち新潮文庫
*地上の糧 アンドレ・ジイド 第一書房 1937 のち角川文庫
*女の学校 付・ロベエル アンドレ・ジイド 第一書房 1937 のち角川文庫
197行目:
*娘の嫉妬 フイリップ 新潮社 1939
*街から風車場へ マルグリット・オオドゥウ 第一書房 1940
*夢見るブゥルジョア娘 上巻 [[ピエール・ドリュ=ラ=ロシェル|ドリユウ・ラ・ロッシェル]] 新潮社 1940 のち文庫
*未完の告白 アンドレ・ジイド 第一書房 1941
*現代ブラジル文学代表作選 第一書房 1941
*強く生きんとて [[マルセル・アルラン]] 実業之日本社 1941
*果樹園 [[ライナー・マリア・リルケ|ライナア・マリア・リルケ]] 青磁社 1942 のち角川文庫
*檳榔樹 訳詩集 青磁社 1943
*毛虫の舞踏会 青磁社 1943
*フランスの天才達(正・続)[[アナトール・フランス|アナトオル・フランス]] 第一書房 1943-44
*戦ふ操縦士 サン・テクジュペリ 河出書房 1945
*架空会見記 アンドレ・ジイド 鎌倉文庫 1946
243行目:
*[[奇巌城|奇岩城]] ルパン傑作集 第3 ルブラン 新潮文庫 1959
*[[男の首|或る男の首]] ジョルジ・シムノン 新潮文庫 1959
*思考の表裏 [[ポール・ヴァレリー|ポォル・ウァレリイ]]、[[アンドレ・ブルトン]]、[[ポール・エリュアール|ポォル・エリュアル]] 昭森社 1959
*強盗紳士 ルパン傑作集 第4 ルブラン 新潮文庫 1960
*[[ルパン対ホームズ]] ルパン傑作集 第5 ルブラン 新潮文庫 1960
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*[[ロベール・デスノス|デスノス]]詩集 [[彌生書房]] 1978
*堀口大学訳詩集 「現代詩文庫1020」思潮社 1980、新書版
*乳房新抄 ラモン短篇30 {{仮リンク|ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナ|fr|Ramón Gómez de la Serna}} プレス・ビブリオマーヌ 1980
*[[ジュール・シュペルヴィエル]]抄 小澤書店 1991