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== 経歴 ==
父・古人は高名な[[儒教|儒家]]であったが、家に財産がなかったことから、清公ら子息は窮乏し苦しんだという。清公は若い頃から[[経書]]と[[歴史書|史書]]を学び、[[延暦]]3年([[784年]])詔により[[皇太子]]・[[早良親王]]に付き従い、延暦8年([[789年]])弱冠20歳で奉試に及第して[[紀伝道|文章生]]に補せられる。学業に優れて文章得業生に推挙されて[[美濃国#国司|美濃少掾]]に[[任官]]し、延暦17年([[798年]])[[対策]]に及第して[[大学寮|大学少允]]に任ぜられた<ref name="a">『続日本後紀』承和9年10月17日条</ref>。
 
延暦21年([[802年]])[[遣唐使|遣唐判官]]に任ぜられ、[[近江国#国司|近江権掾]]を兼ねる。延暦23年([[804年]])[[最澄]]らと共に第二船に乗船して[[唐]]に渡り、遣唐大使・[[藤原葛野麻呂]]と共に[[皇帝]]・[[徳宗 (唐)|徳宗]]に謁見し、その引き立てを得た。延暦24年([[805年]])帰国して[[従五位|従五位下]]・大学助に叙任される<ref name="a" />。
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== 官歴 ==
注記のないものは『[[六国史]]』による。
*[[延暦]]8年([[776年]]) 日付不詳:[[紀伝道|文章生]]
*時期不詳:文章得業生。[[美濃国#国司|美濃少掾]]<ref name="kb">『公卿補任』</ref>
*延暦17年([[785年]]) 5月2日:[[対策]]及第(上第)<ref name="kb" />