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[[鳳凰 (呉)|鳳凰]]元年([[272年]])8月、呉帝[[孫晧]]は歩闡を繞帳督に任じ、[[鄂城区|武昌]]に戻るよう命じた。しかし、突然の召還命令であったため、歩闡は讒禍を恐れて西陵の城に籠り、歩璣・歩璿を[[洛陽市|洛陽]]に人質として送り[[西晋|晋]]に投降した。晋は歩闡を[[都督]]西陵諸軍事・[[衛将軍]]・[[儀同三司]]<ref>[[三公]]と同等の礼遇を受けた。</ref>に任じ、[[侍中]]を加官し、仮節を与えて[[交州]][[刺史|牧]]を兼任させ、宜都公に封じた。
怒った孫晧は[[陸抗]]らに命じて西陵を攻撃させた。歩闡は晋に援軍を要請し、私財を投げ打って蛮族にも協力を仰いだ。しかし、同年12月(273年1月)、歩闡を救援しようとした晋の[[
== 参考文献 ==
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